楽しくオーブン料理

皆さま、おはようございます。

シャワーツリーの季節。

最近はシャワーツリーが次々と咲き始めました。

3月下旬から続いている自宅待機も早いもので三ヶ月が経とうとしています。

慣れない生活様式にはストレスを感じることもありますが、一方で家で過ごす時間が長くなったおかげで、良かったこともありました。

その一つにオーブン料理のレシピが飛躍的に伸びたことがあります。

久しぶりにオーブンを使いました

最後に住んでいた日本の家にはオーブンがなく、オーブン料理からはすっかりご無沙汰状態でした。

ハワイに来てからも「オーブン使うと暑いよねぇ?」とか、使い慣れていないハワイのオーブンに何となく躊躇がありました。

でも、「せっかくオーブンがあるのに使わないのはもったいない!」とある日、出来合いのマフィンミックスでバナナマフィンを作ったところ、あっと言う間に出来上がりました。それに美味しい!

単純なボタン操作だけの我が家のオーブン。「オーブンってこんなに簡単に使えるだ!」と改めて気がつき、その日からネットでオーブン料理を検索したり、自分のレシピブックを見返しました。

バナナマフィンの大成功(大袈裟!)もあり、次にトライしたのはバナナブレッドです。

「それ、バナナマフィンと同じだよね?」と思われた方、形が違います。それにレシピも少し違います。

キラウエアバナナブレッド?

しかし、使った容器が小さかったせいで、見た目はこの通り。

ハワイのキラウエア火山のように、溢れ出た液体がトレーに流れておりました。(あぁ、ちゃんとトレーにのせておいて良かった、と心から安堵しました。)

一つはお友達に差し上げまして、もう一つは自分で頂きました。

まずは溶岩の部分から頂きました。

いつもバナナでは少々つまらないので、さらにがんばりまして、次は苺パイに挑戦しました。

「パイ作りは土台作りが大変」、と考えがちですが、ちょうどテレビで料理番組を見ていましたら、とても簡単なレシピが紹介されていたので、急いでメモをして忘れないうちに作りました。

たくさんの苺を盛ってオーブンで約1時間半ほど焼くと、この様な出来上がりになります。

このパイ生地はとても簡単に作れるので(パイ容器が不要)、この後もフィリングをオレンジやりんご、ピーチに置き換えて何度か作りました。(でも、一番、美味しいのはやはり苺パイのように思います。)

さらにフィリングにリーク(西洋長ネギ)、カボチャ、ポルトガルソーセージ、そして溶き卵と生クリームを入れて、キッシュ風のパイを作ったりと、とにかくオーブンが大活躍です。

料理をすると何かを思い出します

オーブン料理も含めて、このステイホームの期間に、昔よく作った料理を作ることが増えました。

「あの時はどんな風に作ったっけ?」と思いながら手を動かしていると、次第にその料理を作った時のこと、「いつ、どこで誰と食べたのか」などを考え始めます。

「このサラダはあの時、あの家に住んでいた時、あの人たちにお出しして好評だったのよねぇ。あの人たちは今ごろ、どうしているかしら?」と、何年も会っていない人々を思い出しては、温かい気持ちになったり、少し寂しい気持ちになったりもします。

レシピを教えてくれた友人たちとも、なかなか会う機会はありませんが、その料理を作ることでその友人との思い出が蘇り、さらにその思い出から、これまで出会ってきた人たちのお顔が芋づる式に浮かんでくるのが面白くて、料理をしながらそんな「一人連想ゲーム」を楽しんでいます。

料理の思い出は大切ですね。

筆者の場合、料理をすることが、人との思い出の他に、すっかり意識から遠ざかっていた記憶、例えば昔住んでいた家や街の風景、旅行の記憶などを蘇らせるきっかけになっているようです。

若い時には、年配の人たちが昔話をするのを何となく面倒臭い気持ちで聞いたことがよくありました。

でも年を重ねてくると、それだけ思い出も増えて、昔話が増えてしまうのは自然なことです。

今ではその心境がよく理解できます。(楽しい昔話は人生の宝物ですものね。)

そして改めて分かったのは、大半の思い出はとても鮮やかに心に残っていることです。

その時、その場で見た色も、感じた香りも、温かみも、見事に再現できるのです。(良いことだけでないのですが、、。)面白いですね。

なかなか出口が見えない不安の多い日常生活の中で、一瞬ですが、楽しいタイムトリップが出来る料理の時間は筆者にとって、とても貴重な時間になっているようです。

皆さんは何をしていらっしゃる時に、タイムトリップされますか?

蓮の花を見ると昔の職場を思い出します。

久しぶりのピクニック!

皆さま、こんにちは。

最近はすっかり日が長くなりましたね。

そのせいか、最近の夕方のウォーキングでは5時半ごろに家を出てビーチまで歩き、そこでサンセットを眺めて帰宅する、そんな日が増えています。

ビーチから眺めるサンセットはいつ見ても本当に美しいものだと感動します。

日が落ちてしまえば、「さぁ、今日はこれで終わり。また明日もがんばりましょう。」と心をリセットできます。

さて、前回のブログは筆者のメリハリのない行動様式について、それこそメリハリなくご紹介してしまいましたが、世の中が少し動き始めたせいか、さらには週末にお友達とのピクニックが予定されているせいか、これまでとはちょっと違う心のハリが出てまいりました。

ピクニックはビーチで?

今回はビーチでのピクニックで、年甲斐もなく、かなりワクワクしています。

食べ物は?、椅子とテーブルは誰が用意?、シュノーケリングもしようか?と、次から次へと段取りが決まっていきます。

ピクニックでは何をしますか?

筆者はハワイ滞在歴がまだ短く、ピクニックを含めたアウトドア全般についても経験が浅いので、ここは百戦錬磨のお友達に全面的にお任せすることにしました。

しかし何もしないのも申し訳ない。デザートを持っていく以外に、何か楽しいことしたいなぁ、と考えた挙句、筆者はバレーボールを持っていくことにしました。

実は最初はバドミントンを持って行こうかしらと提案したところ、風が強いから無理である、と言われました。

そうか!ここは代々木公園でも羽根木公園でもなく、風が吹くハワイなのです(いきなりローカルな公園名を出して恐縮です。)!

風に関係なく出来るものは?と考え、そうだバレーボールがあったと思いつきました。

ハワイでもバレーボールやビーチバレーがとても盛んですし、日本でもバレーボールは人気がありますもんね(多分)。

みんなで輪になって「そ〜れ!」とか言っちゃいながら、ゲタゲタ、ヒーヒー笑いながらの円陣パスは、たとえ5分でも楽しいだろうと勝手に思い込んで、昨日は夕方6時過ぎにウォーキングも兼ねてウォルマートまでバレーボールを買いに行きました。

6ドルで買ったなんちゃってバレーボールをエコバッグに入れ、帰り道、ちょっと浮かれた気分で膝でキックしながら歩くという、すっかり中学校のバレーボール部員みたいなことをして帰宅しました。

これってステイホームストレス?

コロナ感染を予防するために、長い自宅待機期間を過ごしてきました。

「慣れてしまえば大したことない」、と感じていましたが、三ヶ月ぶりに友人とのピクニックが決まると、じわりじわりと気持ちが盛り上がり、早く会いたいなぁと感じます。

さらには40年ぶりにボールまで買ってしまった自分の行動を冷静に振り返ると、こんな自分でもやはり、それなりにステイホームストレスがあったのかなぁ、と感じました。

昨日の新聞には、「カラオケに行っても歌ってはいけない」カラオケの再開について、それってどうよ、と疑問視する記事がありましたが、今回のピクニックでも恐らく、マスクをつけてのピクニックになるでしょう。(食べる時は外しますが、、。)

それでも、人と会ってお話をして、食べたりカラダを動かしたりする、そんなありふれたことが、こんなに嬉しいのですね。

まだ注意が必要な状況に変わりはありませんが、これからも安全を確保しながら、人との関わりを回復し、気持ち的にもカラダ的にも不安のない生活を取り戻して行けたら良いですね。

ビーチバレーボールを見るのも楽しいかもしれませんね。

何もしない日:時間の過ごし方

皆さま、こんにちは。

ハワイは最近、ネイバーアイランド間の移動が自由になりました。

熱がないことや滞在先の確認など、いくつかの制約はあるようですが、これまで会えなかった家族や友人に会えると思ったら、どんなに嬉しいことでしょう。

まして、これが海外との行き来が自由になった日には、これまで私たちが味わったことのない、開放感や喜びがあるのでしょうね。楽しみです。

希望を持ってその日を待ちましょう!

たまには何もしない日もあり?

唐突ですが、筆者はゆったりと時間を過ごすのが苦手です。

オンとオフの切り替えが下手で、いつもオンの状態になって動く傾向があります。

コロナの外出自粛で自宅で過ごす時間が圧倒的に長くなっていますが、近頃は今日が何曜日なのか、一瞬わからなくなる時があります。

おそらく、生活にメリハリがないのが原因でしょう。

「週末はビーチで何もしないで甲羅干しするぞ」、と思いビーチにいっても、「せっかく海に来たんだから、綺麗な風景を写真にとらねば、せっかくだから海に入るか、本も読まねば、帰りにはスーパーで餅米を買わねば。」など、やることに追われて忙しく、とてもビーチでゆったりと寝転ぶことができないのです。

朝の清々しい空気に包まれたビーチ。

そしてさらに悪いことには、もし餅米を買い損ねたとなれば、「う〜、やり残してしまった。」という後悔の念(大袈裟!)が湧いてきて、「なぜ、そうなった?そうか本を読みすぎたな。」などと反省してしまうのです。馬鹿みたいです。

「休日は1日中、寝ていた。」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、筆者にはこれができません。

休日だろうが平日だろうが、「お天道様が輝いているのに寝ている場合か!」とカラダと頭がムズムズしてきて、結局起きて、ラジオ体操とかしてしまいます。

コロナで自宅待機が命じられた3月下旬以降、「こんな時だからこそ、規則正しく生活しよう。」と思い、「必ず、運動する。ご飯はきちんと3食作る。本を読む。テレビは1日1時間半、でもチコちゃんがある日は2時間まで。お菓子はクッキーなら3枚、ポテトチップは5枚まで。」などと、自分自身にルールを果し、朝、起きた途端に、日課や仕事を消化するべく、活動を開始します。(筆者に目覚まし時計は不要であります。)

当然ながら、日中になれば多少は空き時間ができるので、休み時間と思って少しはカラダを休めても良いのですが、「おぉ、30分ある、じゃぁ、着付けの練習をしよう、」とか、「1時間ある!じゃぁ髪を染めながら床を水拭きするか、。」みたいに、絶えず何かをしています。

救いは、全ての行動が楽しく、何をやるにしても苦にならないことですが、流石に動き過ぎのせいか、夜はクタクタになり、「松本清張の本が途中だった、、読まねば、、。」と、寝床に入り本を持った瞬間、爆睡してしまっています。(おかげで本はヨレヨレです。)

よく言えば、勤勉。でも言い方を帰れば、休むことを知らない愚か者です。

いくら抑制をかけても動いてしまいますし、実際、自分の性格を四柱推命的算命学的に見ても、そういう星だらけで「これはもう仕方ないや」と少々、諦めモードです。

しかし、繰り上げすれば60歳の筆者ですから、これからは加齢現象も加速し、作業効率も落ちることは必至です。

「いい加減、このあたりで休むことを覚えるべきだろうな。せめて60歳になるまでには、ゆっくりとカラダを休ませる術を身につけよう。」と近頃、反省も込めてこのように考えています。

そこで、今日は1日、出来るだけカラダを休める練習をすることにしました。

(そもそもカラダを休めるのに、練習が必要なのだろうか、、?)

起床は6時です。(何時に寝ても6時に起きてしまい、二度寝は出来ません。まさに加齢現象?)

「今日は何もしない。」と決めたことを思い出し、「でも、朝ごはんは作らないとな、、」とか、くだらない問答をしながら、ゆったりとオートミールを作ります。

終わったら、ゆっくりとメールを見たり、新聞を読みます。朝の風も気持ちいいです。

いいわ、ゆったりしている。こんな感じでいこう。

そうそう、次はゆっくりと本を読みましょう。

読書中、ふと本から目をあげると、部屋の隅にホコリが溜まっています。「うぅ、気になる、。」掃除をするべきか、放っておくべきか、、。こんなことで悩むのは馬鹿らしい。クイックルワイパーで10秒で終了です。(やらないと気が済まない。)

ちょっと動いてしまった、、反省。でも、なんだか的外れな反省です。

さて、お昼です。「昨日の夜のおかずがまだたくさんあるから、それを頂きましょう。」と冷蔵庫を開けると、奥に熟れすぎたバナナが2本、横たわっています。

「あぁ、忘れてた!これはもうお菓子にするしかない、、でも、今日は料理もしないって決めたよね。やめよう、。」と、冷蔵庫のドアを閉めました。上出来。

お昼をいただき、お皿をすぐに洗います。なんとなくバナナが気になります。

でも心を鬼(?)にして、また読書を始めます。

3時になりました。おやつタイムです。「うふふ、今日はぜんざいがあるんですよ〜。一昨日作ったかのがまだある。」と冷蔵庫を開けると、やっぱりバナナが見える。

ハワイでぜんざい?

「あぁ、もうダメ!気になる!」と思ったが最後、ここから猛然とバナナクッキーを作り始めてしまった筆者です。

準備の時間にして20分、焼くのに20分。合計40分。脱兎の如く行動しまして、1時間後にはぜんざいとバナナクッキーをおやつでいただきました。

「おいち〜〜!やっぱりデザートも手作りに限るわ。でも、やってしまった。今日は何もしないと誓った(誰に?)のに〜〜。」と、思いつつ、本当は満足感ありでした。

さて読書にも少々、飽きてきました。

「どれどれちょっとテレビを見てみましょうかね〜。」日本語の番組も見ますが、筆者はアメリカのお家のリノベーションの番組が大好きです。

おそらく今後の自分の人生で決して住むことのないような、いかにもアメリカらしい大きな一軒家のリノベーションの様子を写した番組です。

ハワイや東京のように土地が狭いところにしか住んだことのない筆者にとって、「それ、無駄に大きすぎない?」とも思えるアメリカ本土の一軒家を見るのは、本当に新鮮で、しかも価格がリーズナブルなことにため息をつき、リノベーション前後の変貌ぶりに驚嘆しながら、楽しく時間がすぎます。

あっと言う前に2時間、ゆったりと時間を過ごしました。

途中、日本の連続テレビ小説も挟みながら、「テレビって、観ようと思ったら、キリなく観れるんだわ。」と改めて、この極めて受身的な時間経過促進装置の威力を感じます。

さて、普段でしたら夕方のウォーキングに出るところですが、今日は、やめて着物の小物を眺めることにしました。

ハワイでは着物を着る機会はほとんど無いと思いますが、着付けの練習は時々していないと手順を忘れてしまいそうなので、月に1回ぐらいですが練習しています。

ただ、ハワイでの着付けは本当に暑い!汗だくになってしまいます。かなりヘトヘトになります。

そこで今日は小物を整理するだけにしました。

帯を眺めたり、着物の端切れで何かつくれるかしら、と考えたり、結び方をちょっとおさらいしたり、です。

筆者の場合、なぜか若い時から「記憶力」よりも「忘却力」が優っておりまして、例えば着物の着付けにしても、ちょっと時間が開いてしまうと「あれ?帯締めの結び方はこれで良かったかな?」とすぐに忘れてしまいます。

ダラダラと汗を垂らすこともなく、ゆったりした時間でおさらいするのは、とても良いことだと改めて思いました。小物を綺麗にして箱に整理して入れて終了です。満足。

そのあと、夕食を頂き、メールを読んだりシャワーをして1日が終了しました。

寝床でも、いつもよりは本が読めました。

何もしない日=何も考えない日、ってわけじゃない

通常、起きていれば、瞑想などの特別な時間を除き、動作・作業としてのアウトプットはなくても、脳では常に何か考えているものですよね。

筆者の場合、「何もしないこと=ボ〜っとして何も考えず、且つ何も行動しないこと」、のように考えがちで、普段から目に見えて定量化でき、評価できるアウトプットを出すことをよしとする傾向があります。

先ほども記したように、四柱推命・算命学的に言えば、筆者のこのような志向は「よく動き、結果を出せる人」という筆者の性質の一面を現しています。

しかし、それは同時に「行動が猪突猛進型で、時として熟考が足りなく失敗がある。」性質も現していると言えます。

実際、人の行動には何かを見たり読んだりしながら静かに思いに耽ったり、何かを思い出したり、時には同時にカラダを動かしながら脳を整理したりすることも含まれていて、それは目に見えるアプトプットを出すことと同様に、評価はしにくいけれど、ある時間をかけることでしか得られない、その人の内面に働きかける不可欠な行為なのかもしれません。

万人に等しく与えられている1日24時間の過ごし方は、年齢や健康状態、人間関係など、様々な要因を反映して、万人それぞれに異なるのでしょう。

貴重、且ついつ終わってしまうかわからない時間を、出来るだけ大切に、愛しんで過ごしたいと思います。

ハワイのサンセットをゆったりと眺めるのも良いですね。

静かなワイキキビーチをお散歩

皆さま、こんにちは。

東京では「東京アラート」も解除され、また休業要請の緩和もステップ3へと移行したようですね。

ここオアフ島でも徐々に、規制が緩和されてきています。

何かが緩和されたと聞くたび、自分にはあまり関連のないことでも、あぁ、そうなんだぁと、硬くなっている心がちょっと緩むのを感じます。

さて、筆者はそのような中、久しぶりにバスに乗ってワイキキビーチへ行くことにしました。

最近では感染者数も低い水準を維持していますし、マスク着用が義務付けられているバスであれば、恐らく大丈夫だろう、ということで、久々にバスに乗りました。

1-Day Passを久々に購入しました。5ドル50セントです。

ワイキキに向かう2番バスはとても空いていました。

クヒオ通りとSea side ave (シーサイド通り)が交わるバス停で降り、ちょっと周りを見渡した後、ワイキキ動物園方向に向かってクヒオ通りを歩き始めました。

実に二ヶ月半ぶりのワイキキです。

なんだか、とても静かです。今日は水曜日なのに、、。

バスは走っています。人は、、。

人気がないワイキキを歩いていると、自分がまるでどこかのラグジャリーなテーマパークに居るような錯覚を覚え、「スッキリしてるなぁ、綺麗な建物だなぁ。」と感心する反面で現実感は殆ど感じられません。

クヒオ通りからカラカウア通りに抜けるため、インターナショナルマーケットプレイスを抜けることにしました。

人はいませんが、鳥はたくさん飛んでます。

普段は観光客で賑わう高級デパートや多くの店舗も、幾つかの飲食店を除いてはほとんどが閉店しています。

中には「撤退した?」と思われるようなお店もあり、ガランとした空間に置き去りにされているペーパータオルと、分解された後の一部と見られる什器が無造作に放置されているのを見て、何とも言えない気分になりました。

一方で、以前のインターナショナルマーケットプレイスからそのまま残されている大木や多くの植物、開放的で柔らかい日差しがどこからともなく降り注ぐ空間には、たくさんの小さな鳥たちがチュンチュンと鳴きながら自由奔放に飛び交っていて、それはそれで、美しい風景の一コマでした。

さて、カラカウア通りに出ますと、目の前にはホテルが並んでいますが、恐らくほとんどがクローズ状態なのでしょう。行き交う人は、まばらです。

人もまばらなカラカウア通り。

そして交番のところまで来て、初めてゆっくりと海を眺めました。

空も海も雲も砂浜もヤシの木も、そしてダイヤモンドヘッドも、これ以上ないほど、綺麗な色です。

波は穏やかですが、少し沖ではたくさんの人たちがサーフィンを思い思いに楽しんでいます。

沖にはサーファーがたくさん!

その後方を色鮮やかな帆を張ったヨットが右から左へとゆっくりと動いています。

普段は混んでいて座れないベンチに腰をかけて、しばらく風に吹かれながら海を眺めたり、本を読んだり、考え事をしました。

「きっと、こういうところを天国と呼ぶのでしょうね。行ったことないけど、、。」と独り言。

立ち上がって、少し歩きますとデゥーク・カハナモク像とご対面です。こんなにゆっくりと像を眺めたのは、今日が初めてです。

その後も少し歩いては海やサーファーを眺めていました。実に贅沢な時間です。

デゥーク カハナモク像

沖の方にいるサーファーたちは、いかにもサーフィンの上級者というよりは、海が大好きで、サクッと海に来てはご飯を食べるのと同じぐらい、当たり前に海のスポーツを楽しんでいる人たちなのでしょう。

とても上手に波に乗れる人もいらっしゃれば、「ただいま練習真っ只中!」でぽっちゃんぽっちゃん、気前よく海に落下しておられる人もいらっしゃいます。

そして、見ていて微笑ましいというか、面白いのは、とにかく皆さん、本当に楽しそうにぽっちゃんぽっちゃん、落ちまくっているところです。

私もスポーツは大好きですので、純粋にスポーツそのものを楽しんでいるサーファーの様子にとっても共感しました。

Stay Home、ソーシャルディスタンス、マスク着用など、息が詰まる生活も、こんなふうに海で過ごせる時間が持てれば、きっと乗り越えられますね。

人が少ないせいか、どこを見ても、絵葉書のような風景になります。

ストロベリームーンを満喫

皆さま、こんにちは。

ハワイ時間で6月5日は満月でした。

特に6月の満月のことを「ストロベリームーン」、「ローズムーン」「ホットムーン」、あるいは「Mead moon」とも呼ぶのだそうですが、満月がいつもより赤っぽく見えるのだそうです。

実際に筆者がみた満月は、翌日6日の明け方4時半ごろの月で、それほど赤くはありませんでした。

それでも涼しい空気の中で、ラナイの椅子に座ってしばらく満月を眺めた時間は、気持ちがよく心がスーッとします。

約2週間前、新月の時にはお願い事をすると叶う(らしい)と、ブログでご紹介しましたが、今回は満月ですので、「感謝」を述べると良いのだそうです。

願い事が叶った人も叶わなかった人も、まずはこの2週間、何とか無事に過ごせたことを感謝しましょう、ということでしょう。

日頃からも感謝の気持ちは持たなければいけませんが、ちょっと忘れていた時の満月は、「ありがとうございます」を言うのにちょうど良い機会かも知れませんね。

さて、筆者は満月になる数時間前(ハワイで満月になったのは5日の午前9時ごろ)にも、つまり5日の明け方にも月を眺めました。

これはまだ満月じゃないから、感謝は後ほどお伝えしよう、と勝手に感謝の先延ばしを決定し、今朝(6日)の明け方、改めて完璧に満月状態のお月さまに、「ありがとうございます。」と手を合わせました。

横の画像は何を撮っているのか不明に見えますが、一応、満月状態の月でありまして、これは本日6日の朝4時半ごろ撮影しました。

ストロベリー?ムーン

ちなみに筆者は全く満月オタクとかではありません。

なぜか分かりませんが、昨日、今日とも、明け方に目が覚めまして、ラナイのある窓の正面にお月さまが「チ〜ン」という音(仏壇にあるお鈴)ともに自分の目の前にあった、、そんな感じです。

こんな好機はまたとありませんので、静寂な明け方の空を、味気ないスマホの「カシャ」っという音が響くのをとても心地悪く思いながら撮影しました。(この音、消したいなぁ。)

数行前に、自分は満月オタクではない、と記しましたが、実は筆者は今、お月さまにはとても興味があります。というのも、、。

数ヶ月前、RossだったかTJ MAXだったかは忘れましたが、このような物を化粧品売り場で発見したのです。

オラクルカード はとても綺麗です

Moonologyという名のオラクルカード です。

なぜオラクルカード が化粧品売り場にあるのだ、、?と訝しく思いましたが、これは明かにどなたかが一度手に取ってカートに入れたものの、化粧品売り場まで来て、「口紅買うからオラクルはまた今度ね。」的に放置されたものに違いありません。

「此処で会ったが百年目」。と、別に探し求めていたわけではありませんが、何気なくそれを私が手に取ったのも何かのご縁。

目に付いてしまったのですから仕方ありません。

「お値段は、、おぉ、すごく安くなっている!オラクルカード やタロットカードなどの安売りってあるのだろうか、、しかも、3ドル???」

これはもう買いでしょう。一緒にいた友人に見せると、「何それ、やめたら、そんなの。」と全く興味ゼロ。

反対されると、意地でも欲しくなるのが人の心というもの。「ううん、絶対に買う!」と言って購入しました。

後日、オラクルカード に詳しい友人にこのカードを見て頂くと、「これ、良いカードですよ。占い鑑定でも使えるから練習してみたら?」とアドバイスを頂きました。

「いや、私、そーゆー力無いんだよね。」と言うと、「全然、関係ない。カード選ぶのは、本人だから。カードから送られてくるインスピレーションを感じることが大事なんですよ。」とアドバイスを頂き、それ以来、筆者の日課には、1日に1度、カードを引いてメッセージを想像(感じる?)ことが加えられました。

その成果は、、あるよなないよな、ないよなあるよな、、更なる精進が必要です。

さて、満月といえばお月見、お月見とえばお団子、、、。

でもお団子はない。

食いしん坊の筆者は、そうだ、白玉粉があったような気がする、と思い立ち、懸命に探しましたが見つからず、その代わり発見した小豆を煮ましてお餅を入れて、お汁粉を頂きました。

一人で小豆を煮ながら、おそらくいないであろう月のウサギがお餅をつく様子を想像し、そのお餅はいま、目の前にある「切り餅」になって私に届いた、、と思うことにし、感謝して頂きました。

世の中は荒れていて、お月さまを眺めている暇なんてないかも知れません。

反対に、お月さまは、きっと遠くから私たちのことを眺めているような気がします。

どんなお顔で眺めているのかなって思うと、少し寂しいというか悲しい気がしますね。

気持ちを前向きにして、今日も頑張りましょう。

明け方のお月さまはとっても綺麗ですね。優しい色合いです。