皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
前々回のブログでは、久しぶりのピクニックのためにバレーボールまで買ってしまった筆者の盛り上がりの様をお伝えしました。
ピクニック当日は、「こんな日にバレーボールをしたら、真っ黒になってしまう」、と心配になるぐらいの快晴でしたが、心配ご無用です。

サンセットをバックに円陣パスを楽しみました。
(何十年ぶりの円陣パス。50歳代中盤のおばさん4人の円陣パスは掛け声だけは立派ですが、5回以上続かない。しかしその奮闘ぶりに笑い転げて、十分な盛り上がりでした。)
さてピクニックと言えばお弁当や飲み物、座布団にボール、消毒液など、荷物が多くなりますね。
ビーチにはお友達の車に便乗させて頂くことになりました。
一方、普段、一人でさくっとビーチに行く時には、筆者はよくバスを利用します。
例えばノースショアのハレイワビーチに行くのも、ワイナマロビーチに行くのも、そしてワイキキビーチに行くのも、バス運賃は同じ、片道2ドル75セントです。(往復だったら一日乗車券ですね。)
2ドル75セントはお得か?
バスに乗るといつも思うことですが、これだけ移動距離が違うのに運賃が同じ、というのはどういうわけなのでしょう?
遠距離利用の際にはかなりのお得感がある一方で、短い距離だともったいなくて利用しにくい気がします。
利用者としては自然な心情だと思いますが、バスを利用するのであれば、乗り放題の1日乗車券(5ドル50セント)を利用するか、一回の乗車だったら出来るだけ遠距離を乗って、「こんなに乗って2ドル75セント!?」的なお得感を得たいものです。
そこで今日は一般的に物価が高いハワイにおけるバス運賃の経緯をざっと眺めてみることにしました
ハワイバスの歴史もろもろについて(Wikipediaから抜粋しています)
ハワイバスはオアフトランジットサービシズ社が1971年に営業を始めました。
2020年時点で110あまりのバスルートがあります。
バス停は4200箇所、利用者は1日約23万人と報告されています。
次に、ホノルルアドバタイザーがまとめたHawaii Busの運賃の経緯をざっとご紹介します。
サービスが始まった1971年(昭和46年)当時の運賃は25セントでした。
1971年4月まで、ドル円レートは固定相場制で360円ですので、単純に日本円に換算すると80円になります。(ちなみに1971年、昭和46年の都営バスの運賃は、一地帯30円でした。)
東京とハワイではバス利用者数やルート数などが大きく異なりますから、単純な比較は難しいですが、運賃だけで比較すれば、当時のハワイのバス運賃は高く感じますね。
その後、バス運賃は1985年には60セント、1995年に1ドルになっています。
1971年の運賃設定(25セント)から24年間で75セントの増加、4倍になっています。
ちなみに、東京の都営バスの運賃は1995年(平成7年)当時、180円になっていますから、24年間で5倍になったことになります。
その後ハワイバスの運賃は、2001年7月に1ドル15セント、2003年10月には2ドルになりました。(1995年からの8年間で1ドルの上昇です。)
続いて2010年には2ドル50セント、最近(2019年)の運賃改正で2ドル75セントにりました。(9年間で25セントの増加です。)(2019年の都営バスの運賃は、210円です。)
ここまでざっとですが、1971年から現在までの運賃変化(上昇)を概観しました。
気がついたのは、1971年の営業開始から約50年間、バス運賃の変化(増加)は必ずしも同じような割合で上昇していなかったことです。
一体、この不均衡な運賃上昇は何によって起こるのか、これ以上追求すると、なんだか大変なことになりそうなのでやめますが、現在の一回乗りで2ドル75セントは、やはり高いなぁ、という実感はあります。
日本ですと、一回乗車の運賃が固定されている運賃設定と、走行距離によって運賃が変化する運賃設定がありますね。
「ハワイではそういうことしないのかな??」と、チラリと考えます。そして、、
「きっと、ハワイ(アメリカ)も日本も、バス運賃に関しては「そうしないと利益が出ない」複雑な事情があるのよね。やはりこれ以上、追求するのは辞めましょう。」と思い至ります。
(面倒なことを考えるのことを極度に嫌がる筆者の性格がもろに出ております。)
ハワイのバス運賃の設定にどのような事情が反映しているのか、モヤモヤしたところはあるのですが、バス愛好者としては、これ以上バス運賃が上がらないことを願うばかりです。
