嬉しいことがありました!

皆さま、こんにちは。

7月(旧暦ですと7月は7日から始まります。)も中旬となりました。

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筆者にとって、6月は気学的に「底」の月でしたが、7月からは上昇気流に乗って、運気も上昇します(そのはず!)。

「信ずるものは救われる」とよく言いますが、「きっと、良いことがある!」と心の中で強く信じていると、期せずして、嬉しい出来事に遭遇することが、たまにあります。

皆さまの中にも、そのような体験をされた方はいらっしゃるのではないでしょうか?

それとも、「そんなことないわよ〜!」でしょうか?

「7月は希望の月!」。そう勝手に思い込み、普段よりもさらに強く、「今日も元気です!大丈夫。全てうまくいく!」と、澄み切ったハワイの空に向かって毎朝フガフガ唱えていたところ、偶然かも知れませんが、鑑定のお問い合わせがあったり、しばらく音信不通だった古い知人と連絡が取れたりと嬉しいことが続きました。

やっぱり、「信ずるものは救われる?」のかな?

「とにかく信じる」と良いことがある?

「信ずるものは救われる」の語源には、恐らく宗教的な意味があるのでしょう。

でも私たちは、宗教的なこととは関係なく、普通に「信じる」と言う言葉を使いますね。

スポーツ選手のインタビューでは、「自分を信じて頑張った」、とか、「コーチの言葉を信じた」などのコメントをよく聞きます。

そんなコメントを聞きながら、「そうか、そうだよね、やるのは自分だもんね。最後は自分しかいないって、思い至るのね」と思ったり、「そうか、よっぽど良いコーチなんだわね」と思います。

筆者の場合は、「当たると信じて買ったけど、またハズレじゃん!」と紙切れになった宝くじを破る、そんな限りなくトホホ的な行為において「信じる」ことを長年繰り返してきました。

しかしそんな愚かしい筆者も、多少なりとも年月と経験と失敗を重ねてきたせいか、ここ数年で、信じることについて、これまでとは少し違う考えを持つに至りました。

どのように表現するのが良いのか分からないのですが、どうも「見返りを期待した信じる」行為はダメそうです。

「これだけやったから、これぐらい返ってくるよね?」と思う信じ方は、その対象が事であれ、人であれ、筆者の感覚からいうと、「不発に終わる」感覚があります。

そして今、筆者が思う信じるは、「とにかく無心に思うこと、ブレずに願うこと。」のような気がしています。

ちなみに以前にも申し上げましたが、筆者は占い鑑定はしていますが、サイキック的な能力はありません。

そのような能力はないのですが、心から真摯に信じたり願っていると、よく分からない何者かによって、(例えば世の中では「エンジェル」とか「背後霊」とか呼ばれているもの?)が、何かしてくれているように感じるのです。

もう少しフェアリー調で言うならば、「いつも自分を見守っていてくれている何ものかが、何かの折に、自分に手を差し伸べてくれていたり、ささやかなご褒美をくれることがある」と言った感じでしょうか。

そして、「疑うことなく無心に願うこと、信じること」を続けていると、いつしか、そんな自分自身を信じることが出来るようになるのかしら、などと思いを馳せます。

あぁ〜、なんだか頭がゴチャゴチャしてきましたよ〜。

このままですと、どんどん深みにハマりそうな気分になりましたので、本日はこれで辞めておきましょう。

世の中がこんな状況だからこそ、自分の心の中にブレることのない芯のような何か(思いや信念)があると、少し、気持ちが楽になるのかも知れない?ですね。

どうぞ、今日も、ココロもカラダもお元気でお過ごしくださいね。

占い鑑定で運動・スポーツを選んでみる?

皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

自宅待機が長引くなか、運動不足を実感しておられる方も多いのではないでしょうか。

皆さまは、どのようにして運動不足を解消していらっしゃいますか?

世の中にはたくさんの運動やスポーツがありますから、この際、未経験のスポーツを選んでみるのも楽しいかも知れませんね。

子どもの頃は体育の授業は別として、好奇心や興味に従って、比較的、自由に運動やスポーツを選べますね。

従って、子どもによって選ぶ運動やスポーツには、自然に違いが出てきます。

また、実際にやってみて、「やっぱり面白い、もっと続けたいな。」と思う子どもと、「もういいや。」と思う子どもがいます。

このような差が出るのは、一つにはその時の子どもの身体機能や運動能力が影響するからなのかも知れませんが、その他に本人の性格や、本人を取り巻く人間関係を含んだ生活環境なども影響しているように思われます。

そしてこれは大人も同様で、ご本人の性格や環境によって選ぶ運動やスポーツに違いが生じるように思います。(違うかな?)

自分の性格に合った運動やスポーツって?

例えば、四柱推命や算命学的に筆者の性格に合いそうなスポーツをみてみますと、「単独で行う運動やスポーツで、ゲーム要素の強いもの。」が良いようです。

また自分のテリトリーを守りたいので、人体接触のあるスポーツはバツ、です。

さらに、必要であれば他人(仲間)と力を合わせて運動することもありますが、楽しむことが主眼にあるのではなく、あくまでも、「勝ち」にこだわる運動の仕方を好むようです。

コロナ感染が心配されるこのご時世、現実的にチームスポーツは適切ではありませんから、やはり最終的に筆者が出来るのは、一人ウォーキングやサイクリングあたりですね。

「一人で出来る、」という意味で、筆者は約10年間、ヨガに真面目に取り組んだ経験があります。しかし、最後は気持ちが持続せず、終えてしまいました。

柔軟性も向上し姿勢も良くなりましたので、健やかなカラダの維持には悪くないのですが、ヨガをやっていて、あるいはやり終わった後、「楽しい」とか「気持ち良い」といった感想があまりなかったのです。

黄昏時のビーチバレーボール。良いですね〜、楽しそう!

ヨガは筆者にとって、ひたすら「自分のココロとカラダに向き合う時間」でしたが、このじ〜〜と我慢して動く、ことに、ある日、突然「飽きてしまった」ようです。

やはり筆者には、テニスやバレーボール、卓球などのネットプレイで、点数を競うスポーツ、時に寡黙に、時にワイワイと動くスポーツが合うようですが、だからと言って50歳代半ばをすぎた筆者がこれから熱心にやれるかと言えば、恐らくそれは「否」ですね。

ちなみに、「スポーツ観戦」という、スポーツを楽しむという広い意味でのスポーツ参加について、筆者は相撲以外、殆ど観ることがありません。

「運動やスポーツはやってなんぼ」という、実践重視の性格です。

「好き」と「続く」運動・スポーツは違う?

現代はハワイでも日本でも、健康の維持増進を目的とした運動実践が大いに奨励されています。

おそらく、どなたも一度は運動靴を買ってみたり、スポーツクラブのパンフレットを眺めたりしたことがあるのではないでしょうか。

しかし、同時に「スポーツクラブに入って、最初は元を取ろう!なんて思うから、一生懸命通ったけど、半年で終わってしまった。だって、だんだん寒くなってきて、行くのが億劫なんですもん。」といった、挫折ストーリーを聞くこともしばしばです。

また、「走るのが好きなので、ジョギングクラブに入ったけど、他人と一緒に走るのは気を遣ってしまって、却って大変。やっぱり一人で走るのがいいな。」という方もいらっしゃいました。

あるいは、「ゴルフを観るのは好きだけど、実際にやってみるとお金がかかるね。」そんな経済的な理由もあるかも知れません。

いずれにしても、運動やスポーツが続けられるかどうかは、それを「好き」かどうかより、自分の性格や、運動能力、さらに運動するにあたって生活環境に無理や支障がないかなど、他の複数の要因がより強く影響しているようです。

大人(中高年)のバレエ愛好者

筆者の知り合いに、ちょっと失礼な言い方になりますが、あまり上手にはならないけれど、何十年もクラシックバレエ(美容体操)のお稽古に通っておられた中高年のご婦人方がいらっしゃいました。

ご本人は至って楽しく心地よく踊っておられるのですが、側から見ると、踊っているのかフラフラとその辺りを彷徨っているのかよく分かりません。でも、気持ちは完璧にバレリーナです。

そしてその踊り(動き)を見ながら、先生が優しい声で、「みんな、ちゃんとやって〜」っと声をかけているのが、とてつもなくおかしかったのを覚えています。

ご婦人方は、「あら、私、ちゃんとやってるわよね〜〜」と心中、先生の言葉を怪訝に思いながら、なおもフラフラと気持ちよく躍るのです。

筆者が思うに、このご婦人方は間違いなく、踊ること、踊る事にまつわる何かが大好きなのですね。

だからこそ、何十年も長続きするのだと思います。

実際、このご婦人方の占い鑑定はしておりませんが、恐らく、感性豊かで、古典的な芸術を愛し、コツコツと努力できることを示す「星」をお持ちなんだろうなぁ、と勝手に想像しています。

またさらに細かく観察していると、同じクラシックバレエでのお稽古でも、「見た目重視」でいつも美しいレオタードに身を包む方がおられる一方で、「手と足の角度は?首は曲げる?」と、動きの分析に熱心な方もおられます。

このように同じクラシックバレエでも、その取り組み方には各自が持つ「星」の違いが反映しているようです。

中には「お稽古が終わったら、皆さんとあのカフェに行きたいわ。」、とお稽古そのものよりは、人間関係に興味がある方もいらっしゃるでしょう。

皆さまは、どんな思考・行動パターンをお持ちでしょうか?

今後も、コロナによる自宅待機など、制限のある生活で運動不足の状態が続きそうですが、どうぞ、皆さまもご自分に合った運動、スポーツで元気でいらしてくださいね。

もし、「なぜ、長続きしないのかしら?」と思われる方がいらっしゃいましたら、一度、占い鑑定で、ご自分の本質(性格)を見てみませんか?

案外、今まで知らなかった違う才能に気づかれるかも知れせんよ!

そう言えば、釣りも素敵なスポーツですね。釣り、やろうかな?

静かな6月でした

皆さま、こんばんは。

独立記念日も終わり、6月も残り数時間となりました。(旧暦の6月は7月6日までです。)

2020年6月の筆者の気を九星でみますと、最も低迷した「底」の月になっています。

従いまして、この6月はあまり無理をせず、おとなしく過ごしておりました。

「おとなしく」過ごす、と言っても、何もせずにじぃーっと、家に潜んでいるわけではありません。

普通に仕事をし、普通に家事をし、たまにピクニックに行ったりキャンドルを作ったり、ウォーキングで運動不足を解消しています。

運気が低い時を無事に過ごすコツ

「無理をしない」過ごし方とは実際、どのようなものでしょう。

「カラダや心に余計な負担をかけないこと」だと筆者は理解しておりまして、そのために普段より少し、心がけていることがあります。

その一つは、「急がないこと、焦らないこと」です。

例えば、何かを決めなければいけない時、そしてそれが少々ややこしい問題である時、さらにその決断を誰かから早急に、と迫られている時がありますよね。

そんな時でも、焦って答えを出さず、一呼吸、置くとほぼ上手くいくようです。

元来、即決型の筆者ですが、「ちょっと待って。少し様子を見てから決めてもいいよね。」と、意識していつもより少し慎重に対応しています。

もう一つは、人間関係で何か行き違いが起きた時には、気がついた時点でにすぐにその人に連絡をとって確認し、問題を解消することです。

そうしますと事態がこじれず、不安も早く解消するように感じます。

さらに6月は、気学でみると「月破」の月にあたっていたので、いつものウォーキングコースを少し変更しました。

実際、これらのことを意識して過ごしたからと言って、目に見えて何か良いことが起こるわけではありません。

しかし、いつもより少しだけ物事をゆっくり考え、行動を見直し、ペースダウンすることによって、心に余裕が生まれるのは実感できます。

水彩画の練習をしました

「無理をしない」6月、筆者は水彩画の練習をすることにしました。

と言うのも、今年の2月、水彩画のワークショップに参加して以来、一度も復習していなかったので、ちょうど良い機会だと思ったのです。

さて、筆者は仕事をする時も、家事をする時も、キャンドルを作る時も、ウオーキングをする時も、寝る時にも、絶えず音楽(音)を流しています。

ちゃんと耳を傾けて聴いている時もあれば、流しているだけの時もあります。

皆さんは、少しざわついた環境にいる時の方が勉強や仕事が捗ると思われたことはありませんか?

筆者はまさにそのタイプで、何となく音楽が流れているところや何となくテレビの声が聞こえる部屋、適度に人の出入りがあるオフィスだと仕事が捗ります。

決して沈黙や静寂が嫌いなのではありません。教会やお寺などの静寂はとても好きです。

ただ、何か作業や仕事をする時に、あまりに周囲がシ〜〜ンとしていると、居心地が悪いというか、ソワソワしてしまうのです。

あれ?音無しが心地よい?

しかし、今回は珍しく、音楽やテレビを消しました。

なぜか、耳障りになって、集中できなかったからです。

残ったのは「生活の音」だけで、家のなかは実に静かです。

そして思いの外、心地よいのです。

「生活の音」には、風の音や鳥の鳴き声、フリーウェイや近くの道を走る車の音、お隣さんが開け閉めするドアの音などがありますが、これは気になりません。

静かな住宅街に漂うこれらの生活の音には、何かを主張するものはなく、耳に届いた音はサラサラと流れる水のように全身に広がり、そしてすぐに消えてしまいます。

コロナウィルスで世界はこんなに大揺れしているのに、自分は妙に心穏やかな精神状態で、「ナンダァ、このギャップは?」と不思議な感覚でした。

変化を受け入れることは大変です

コロナが発生してから、心とカラダには否応なく変化が求められています。

これまで築いてきた自分の生活習慣や常識を変えることには、多くの場合、不安と不快と困難が伴いますね。

しかし同時に、変化を受け入れることで、忘れていた感覚を思い出したり、新たな気づきがあったりするのかもしれません。

筆者は絵を描くことで、久しぶりに「無音の心地よさ」の効果を感じました。

静かな6月は今日で終わります。(あっ、零時を回ってしまった、、!)

そして明日、7月7日から、7月が始まります(もう7日になってしまった)。

皆さま、どうぞ良い七夕様をお迎えください。

7月6日は美しいサンセットでした。

曇りの日のキャンドル作り

皆さま、こんにちは。

今日、7月4日はアメリカ独立記念日です。

午前中は雨が降り、どこか寂しげな独立記念日となりました。

例年、独立記念日に開催されている関連行事も、今年は軒並みキャンセルのようですし、花火も中止となり、とても静かな独立記念日です。

「では、お家で静かにお祝いしましょう」ということで、今日は、1日中、お部屋にキャンドルを灯しました。

小さな灯でも部屋の空気感が変わります。

曇りの日こそ、キャンドルの出番です

今朝のように雨が降る曇りの日は、キャンドルの灯りがとても映えると筆者は感じています。

優しいキャンドルの灯りが室内に程よく広がり、曇り空のような薄グレーの空間に、ほんの少し琥珀色の光が混ざり合うと、部屋全体が実に落ち着くように感じるからです。

天気の良い日にキャンドルを灯すと、その周辺の空気の透明感が瞬時に増して、辺りが爽やかでエネルギッシュな空間に変わるように筆者は感じます。

色や香りで例えるなら、キラキラと光るサイダーの泡の中で輪切りのライムが香っている、そんな感じでしょうか。

一方、曇り空の日にキャンドルを灯していると、あたかも自分が、霧に包まれた薄明るくて静かな森林に立っているような気持ちになります。

色で言うなら、少しグレーがかったアイボリー、サンドベージュのような色合いで、香りはシダーウッドのような感じでしょうか。

これも筆者の個人的な感覚ですが、絶えず、小さくゆらゆらと揺れるキャンドルの灯りがあると、仕事にも集中できるように感じます。

そのためか、暗くなった夜よりも、明るい午前中にキャンドルを灯すことが多くなっています。

そう言えば、かつて滞在したデンマークの職場でも、談話室には朝からキャンドルが灯されていて、スタッフがそこで静かに雑談したり、読み物をしていたのを今でも鮮明に覚えています。

きっとその時に見たキャンドルの灯りやその場の雰囲気を、筆者はとても魅力的に感じていたのだと思います。

曇りの日に作ったキャンドルは何色?

筆者はハワイに来てからもキャンドルを作っていますが、最近は、以前より大きいキャンドルを作っています。

日本で作っていたキャンドルは、どちらかと言えば日常的に灯すよりも、むしろ手の込んだ飾り(鑑賞)用の、比較的小ぶりなキャンドルが主流でした。

それがハワイに住んでしばらくするうちに、心境に微妙な変化が生じ、灯すことを目的とした大きめでシンプルなキャンドルを作りたくなったのです。

キャンドルの色合いは季節によっても変わりますし、その日の気分によっても変わりますが、ハワイで作る曇りの日のキャンドルは、なぜかスモーキーなベージュやグレーに、差し色をしたものが多くなっています。

そこで雨が降る独立記念日の今日、また一つ、キャンドルを作りました。

名付けて「2020独立記念日キャンドル」・・そのまま!

思い通りのキャンドルはなかなか作れない

作り始める前にはおおよそのイメージもあるのですが、作っている最中に気分が変わり、結局イメージと違ったものが出来てしまうことがよくあります。

また好きな色だけを使ってイメージ通りに作ったはずなのに、なぜか気に入らないことがよくあります。

さらに、普段と違う色を使ったからと言って、「おぉ、斬新!」と思えるようなキャンドルが出来るかといえば、そうでもありません。

むしろ、「うん、いいな。」と思えるキャンドルは、事前にあまり詳細にイメージすることなく、本能(?)に任せて無造作に色を挿した時に出来たりします。不思議です。

この不思議があるおかげで、下手の横好きでまた作ってしまいそうです。

小さなキャンドルをまとめて灯します。

さて、夜になりました。

そして、今日は満月です。

2020年の独立記念日は満月だったのですね。

静かにお月さまを眺めて、一時、ほっこりしましょう。

おやすみなさい。

ハワイバス運賃は高い?安い?

皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

前々回のブログでは、久しぶりのピクニックのためにバレーボールまで買ってしまった筆者の盛り上がりの様をお伝えしました。

ピクニック当日は、「こんな日にバレーボールをしたら、真っ黒になってしまう」、と心配になるぐらいの快晴でしたが、心配ご無用です。

サンセットバレーボール(人は何処?)

サンセットをバックに円陣パスを楽しみました。

(何十年ぶりの円陣パス。50歳代中盤のおばさん4人の円陣パスは掛け声だけは立派ですが、5回以上続かない。しかしその奮闘ぶりに笑い転げて、十分な盛り上がりでした。)

さてピクニックと言えばお弁当や飲み物、座布団にボール、消毒液など、荷物が多くなりますね。

ビーチにはお友達の車に便乗させて頂くことになりました。

一方、普段、一人でさくっとビーチに行く時には、筆者はよくバスを利用します。

例えばノースショアのハレイワビーチに行くのも、ワイナマロビーチに行くのも、そしてワイキキビーチに行くのも、バス運賃は同じ、片道2ドル75セントです。(往復だったら一日乗車券ですね。)

2ドル75セントはお得か?

バスに乗るといつも思うことですが、これだけ移動距離が違うのに運賃が同じ、というのはどういうわけなのでしょう?

遠距離利用の際にはかなりのお得感がある一方で、短い距離だともったいなくて利用しにくい気がします。

利用者としては自然な心情だと思いますが、バスを利用するのであれば、乗り放題の1日乗車券(5ドル50セント)を利用するか、一回の乗車だったら出来るだけ遠距離を乗って、「こんなに乗って2ドル75セント!?」的なお得感を得たいものです。

そこで今日は一般的に物価が高いハワイにおけるバス運賃の経緯をざっと眺めてみることにしました

ハワイバスの歴史もろもろについて(Wikipediaから抜粋しています)

ハワイバスはオアフトランジットサービシズ社が1971年に営業を始めました。

2020年時点で110あまりのバスルートがあります。

バス停は4200箇所、利用者は1日約23万人と報告されています。

次に、ホノルルアドバタイザーがまとめたHawaii Busの運賃の経緯をざっとご紹介します。

サービスが始まった1971年(昭和46年)当時の運賃は25セントでした。

1971年4月まで、ドル円レートは固定相場制で360円ですので、単純に日本円に換算すると80円になります。(ちなみに1971年、昭和46年の都営バスの運賃は、一地帯30円でした。)

東京とハワイではバス利用者数やルート数などが大きく異なりますから、単純な比較は難しいですが、運賃だけで比較すれば、当時のハワイのバス運賃は高く感じますね。

その後、バス運賃は1985年には60セント、1995年に1ドルになっています。

1971年の運賃設定(25セント)から24年間で75セントの増加、4倍になっています。

ちなみに、東京の都営バスの運賃は1995年(平成7年)当時、180円になっていますから、24年間で5倍になったことになります。

その後ハワイバスの運賃は、2001年7月に1ドル15セント、2003年10月には2ドルになりました。(1995年からの8年間で1ドルの上昇です。)

続いて2010年には2ドル50セント、最近(2019年)の運賃改正で2ドル75セントにりました。(9年間で25セントの増加です。)(2019年の都営バスの運賃は、210円です。)

ここまでざっとですが、1971年から現在までの運賃変化(上昇)を概観しました。

気がついたのは、1971年の営業開始から約50年間、バス運賃の変化(増加)は必ずしも同じような割合で上昇していなかったことです。

一体、この不均衡な運賃上昇は何によって起こるのか、これ以上追求すると、なんだか大変なことになりそうなのでやめますが、現在の一回乗りで2ドル75セントは、やはり高いなぁ、という実感はあります。

日本ですと、一回乗車の運賃が固定されている運賃設定と、走行距離によって運賃が変化する運賃設定がありますね。

「ハワイではそういうことしないのかな??」と、チラリと考えます。そして、、

「きっと、ハワイ(アメリカ)も日本も、バス運賃に関しては「そうしないと利益が出ない」複雑な事情があるのよね。やはりこれ以上、追求するのは辞めましょう。」と思い至ります。

(面倒なことを考えるのことを極度に嫌がる筆者の性格がもろに出ております。)

ハワイのバス運賃の設定にどのような事情が反映しているのか、モヤモヤしたところはあるのですが、バス愛好者としては、これ以上バス運賃が上がらないことを願うばかりです。

ハワイは毎日、ピクニック日和?

楽しくオーブン料理

皆さま、おはようございます。

シャワーツリーの季節。

最近はシャワーツリーが次々と咲き始めました。

3月下旬から続いている自宅待機も早いもので三ヶ月が経とうとしています。

慣れない生活様式にはストレスを感じることもありますが、一方で家で過ごす時間が長くなったおかげで、良かったこともありました。

その一つにオーブン料理のレシピが飛躍的に伸びたことがあります。

久しぶりにオーブンを使いました

最後に住んでいた日本の家にはオーブンがなく、オーブン料理からはすっかりご無沙汰状態でした。

ハワイに来てからも「オーブン使うと暑いよねぇ?」とか、使い慣れていないハワイのオーブンに何となく躊躇がありました。

でも、「せっかくオーブンがあるのに使わないのはもったいない!」とある日、出来合いのマフィンミックスでバナナマフィンを作ったところ、あっと言う間に出来上がりました。それに美味しい!

単純なボタン操作だけの我が家のオーブン。「オーブンってこんなに簡単に使えるだ!」と改めて気がつき、その日からネットでオーブン料理を検索したり、自分のレシピブックを見返しました。

バナナマフィンの大成功(大袈裟!)もあり、次にトライしたのはバナナブレッドです。

「それ、バナナマフィンと同じだよね?」と思われた方、形が違います。それにレシピも少し違います。

キラウエアバナナブレッド?

しかし、使った容器が小さかったせいで、見た目はこの通り。

ハワイのキラウエア火山のように、溢れ出た液体がトレーに流れておりました。(あぁ、ちゃんとトレーにのせておいて良かった、と心から安堵しました。)

一つはお友達に差し上げまして、もう一つは自分で頂きました。

まずは溶岩の部分から頂きました。

いつもバナナでは少々つまらないので、さらにがんばりまして、次は苺パイに挑戦しました。

「パイ作りは土台作りが大変」、と考えがちですが、ちょうどテレビで料理番組を見ていましたら、とても簡単なレシピが紹介されていたので、急いでメモをして忘れないうちに作りました。

たくさんの苺を盛ってオーブンで約1時間半ほど焼くと、この様な出来上がりになります。

このパイ生地はとても簡単に作れるので(パイ容器が不要)、この後もフィリングをオレンジやりんご、ピーチに置き換えて何度か作りました。(でも、一番、美味しいのはやはり苺パイのように思います。)

さらにフィリングにリーク(西洋長ネギ)、カボチャ、ポルトガルソーセージ、そして溶き卵と生クリームを入れて、キッシュ風のパイを作ったりと、とにかくオーブンが大活躍です。

料理をすると何かを思い出します

オーブン料理も含めて、このステイホームの期間に、昔よく作った料理を作ることが増えました。

「あの時はどんな風に作ったっけ?」と思いながら手を動かしていると、次第にその料理を作った時のこと、「いつ、どこで誰と食べたのか」などを考え始めます。

「このサラダはあの時、あの家に住んでいた時、あの人たちにお出しして好評だったのよねぇ。あの人たちは今ごろ、どうしているかしら?」と、何年も会っていない人々を思い出しては、温かい気持ちになったり、少し寂しい気持ちになったりもします。

レシピを教えてくれた友人たちとも、なかなか会う機会はありませんが、その料理を作ることでその友人との思い出が蘇り、さらにその思い出から、これまで出会ってきた人たちのお顔が芋づる式に浮かんでくるのが面白くて、料理をしながらそんな「一人連想ゲーム」を楽しんでいます。

料理の思い出は大切ですね。

筆者の場合、料理をすることが、人との思い出の他に、すっかり意識から遠ざかっていた記憶、例えば昔住んでいた家や街の風景、旅行の記憶などを蘇らせるきっかけになっているようです。

若い時には、年配の人たちが昔話をするのを何となく面倒臭い気持ちで聞いたことがよくありました。

でも年を重ねてくると、それだけ思い出も増えて、昔話が増えてしまうのは自然なことです。

今ではその心境がよく理解できます。(楽しい昔話は人生の宝物ですものね。)

そして改めて分かったのは、大半の思い出はとても鮮やかに心に残っていることです。

その時、その場で見た色も、感じた香りも、温かみも、見事に再現できるのです。(良いことだけでないのですが、、。)面白いですね。

なかなか出口が見えない不安の多い日常生活の中で、一瞬ですが、楽しいタイムトリップが出来る料理の時間は筆者にとって、とても貴重な時間になっているようです。

皆さんは何をしていらっしゃる時に、タイムトリップされますか?

蓮の花を見ると昔の職場を思い出します。

久しぶりのピクニック!

皆さま、こんにちは。

最近はすっかり日が長くなりましたね。

そのせいか、最近の夕方のウォーキングでは5時半ごろに家を出てビーチまで歩き、そこでサンセットを眺めて帰宅する、そんな日が増えています。

ビーチから眺めるサンセットはいつ見ても本当に美しいものだと感動します。

日が落ちてしまえば、「さぁ、今日はこれで終わり。また明日もがんばりましょう。」と心をリセットできます。

さて、前回のブログは筆者のメリハリのない行動様式について、それこそメリハリなくご紹介してしまいましたが、世の中が少し動き始めたせいか、さらには週末にお友達とのピクニックが予定されているせいか、これまでとはちょっと違う心のハリが出てまいりました。

ピクニックはビーチで?

今回はビーチでのピクニックで、年甲斐もなく、かなりワクワクしています。

食べ物は?、椅子とテーブルは誰が用意?、シュノーケリングもしようか?と、次から次へと段取りが決まっていきます。

ピクニックでは何をしますか?

筆者はハワイ滞在歴がまだ短く、ピクニックを含めたアウトドア全般についても経験が浅いので、ここは百戦錬磨のお友達に全面的にお任せすることにしました。

しかし何もしないのも申し訳ない。デザートを持っていく以外に、何か楽しいことしたいなぁ、と考えた挙句、筆者はバレーボールを持っていくことにしました。

実は最初はバドミントンを持って行こうかしらと提案したところ、風が強いから無理である、と言われました。

そうか!ここは代々木公園でも羽根木公園でもなく、風が吹くハワイなのです(いきなりローカルな公園名を出して恐縮です。)!

風に関係なく出来るものは?と考え、そうだバレーボールがあったと思いつきました。

ハワイでもバレーボールやビーチバレーがとても盛んですし、日本でもバレーボールは人気がありますもんね(多分)。

みんなで輪になって「そ〜れ!」とか言っちゃいながら、ゲタゲタ、ヒーヒー笑いながらの円陣パスは、たとえ5分でも楽しいだろうと勝手に思い込んで、昨日は夕方6時過ぎにウォーキングも兼ねてウォルマートまでバレーボールを買いに行きました。

6ドルで買ったなんちゃってバレーボールをエコバッグに入れ、帰り道、ちょっと浮かれた気分で膝でキックしながら歩くという、すっかり中学校のバレーボール部員みたいなことをして帰宅しました。

これってステイホームストレス?

コロナ感染を予防するために、長い自宅待機期間を過ごしてきました。

「慣れてしまえば大したことない」、と感じていましたが、三ヶ月ぶりに友人とのピクニックが決まると、じわりじわりと気持ちが盛り上がり、早く会いたいなぁと感じます。

さらには40年ぶりにボールまで買ってしまった自分の行動を冷静に振り返ると、こんな自分でもやはり、それなりにステイホームストレスがあったのかなぁ、と感じました。

昨日の新聞には、「カラオケに行っても歌ってはいけない」カラオケの再開について、それってどうよ、と疑問視する記事がありましたが、今回のピクニックでも恐らく、マスクをつけてのピクニックになるでしょう。(食べる時は外しますが、、。)

それでも、人と会ってお話をして、食べたりカラダを動かしたりする、そんなありふれたことが、こんなに嬉しいのですね。

まだ注意が必要な状況に変わりはありませんが、これからも安全を確保しながら、人との関わりを回復し、気持ち的にもカラダ的にも不安のない生活を取り戻して行けたら良いですね。

ビーチバレーボールを見るのも楽しいかもしれませんね。

何もしない日:時間の過ごし方

皆さま、こんにちは。

ハワイは最近、ネイバーアイランド間の移動が自由になりました。

熱がないことや滞在先の確認など、いくつかの制約はあるようですが、これまで会えなかった家族や友人に会えると思ったら、どんなに嬉しいことでしょう。

まして、これが海外との行き来が自由になった日には、これまで私たちが味わったことのない、開放感や喜びがあるのでしょうね。楽しみです。

希望を持ってその日を待ちましょう!

たまには何もしない日もあり?

唐突ですが、筆者はゆったりと時間を過ごすのが苦手です。

オンとオフの切り替えが下手で、いつもオンの状態になって動く傾向があります。

コロナの外出自粛で自宅で過ごす時間が圧倒的に長くなっていますが、近頃は今日が何曜日なのか、一瞬わからなくなる時があります。

おそらく、生活にメリハリがないのが原因でしょう。

「週末はビーチで何もしないで甲羅干しするぞ」、と思いビーチにいっても、「せっかく海に来たんだから、綺麗な風景を写真にとらねば、せっかくだから海に入るか、本も読まねば、帰りにはスーパーで餅米を買わねば。」など、やることに追われて忙しく、とてもビーチでゆったりと寝転ぶことができないのです。

朝の清々しい空気に包まれたビーチ。

そしてさらに悪いことには、もし餅米を買い損ねたとなれば、「う〜、やり残してしまった。」という後悔の念(大袈裟!)が湧いてきて、「なぜ、そうなった?そうか本を読みすぎたな。」などと反省してしまうのです。馬鹿みたいです。

「休日は1日中、寝ていた。」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、筆者にはこれができません。

休日だろうが平日だろうが、「お天道様が輝いているのに寝ている場合か!」とカラダと頭がムズムズしてきて、結局起きて、ラジオ体操とかしてしまいます。

コロナで自宅待機が命じられた3月下旬以降、「こんな時だからこそ、規則正しく生活しよう。」と思い、「必ず、運動する。ご飯はきちんと3食作る。本を読む。テレビは1日1時間半、でもチコちゃんがある日は2時間まで。お菓子はクッキーなら3枚、ポテトチップは5枚まで。」などと、自分自身にルールを果し、朝、起きた途端に、日課や仕事を消化するべく、活動を開始します。(筆者に目覚まし時計は不要であります。)

当然ながら、日中になれば多少は空き時間ができるので、休み時間と思って少しはカラダを休めても良いのですが、「おぉ、30分ある、じゃぁ、着付けの練習をしよう、」とか、「1時間ある!じゃぁ髪を染めながら床を水拭きするか、。」みたいに、絶えず何かをしています。

救いは、全ての行動が楽しく、何をやるにしても苦にならないことですが、流石に動き過ぎのせいか、夜はクタクタになり、「松本清張の本が途中だった、、読まねば、、。」と、寝床に入り本を持った瞬間、爆睡してしまっています。(おかげで本はヨレヨレです。)

よく言えば、勤勉。でも言い方を帰れば、休むことを知らない愚か者です。

いくら抑制をかけても動いてしまいますし、実際、自分の性格を四柱推命的算命学的に見ても、そういう星だらけで「これはもう仕方ないや」と少々、諦めモードです。

しかし、繰り上げすれば60歳の筆者ですから、これからは加齢現象も加速し、作業効率も落ちることは必至です。

「いい加減、このあたりで休むことを覚えるべきだろうな。せめて60歳になるまでには、ゆっくりとカラダを休ませる術を身につけよう。」と近頃、反省も込めてこのように考えています。

そこで、今日は1日、出来るだけカラダを休める練習をすることにしました。

(そもそもカラダを休めるのに、練習が必要なのだろうか、、?)

起床は6時です。(何時に寝ても6時に起きてしまい、二度寝は出来ません。まさに加齢現象?)

「今日は何もしない。」と決めたことを思い出し、「でも、朝ごはんは作らないとな、、」とか、くだらない問答をしながら、ゆったりとオートミールを作ります。

終わったら、ゆっくりとメールを見たり、新聞を読みます。朝の風も気持ちいいです。

いいわ、ゆったりしている。こんな感じでいこう。

そうそう、次はゆっくりと本を読みましょう。

読書中、ふと本から目をあげると、部屋の隅にホコリが溜まっています。「うぅ、気になる、。」掃除をするべきか、放っておくべきか、、。こんなことで悩むのは馬鹿らしい。クイックルワイパーで10秒で終了です。(やらないと気が済まない。)

ちょっと動いてしまった、、反省。でも、なんだか的外れな反省です。

さて、お昼です。「昨日の夜のおかずがまだたくさんあるから、それを頂きましょう。」と冷蔵庫を開けると、奥に熟れすぎたバナナが2本、横たわっています。

「あぁ、忘れてた!これはもうお菓子にするしかない、、でも、今日は料理もしないって決めたよね。やめよう、。」と、冷蔵庫のドアを閉めました。上出来。

お昼をいただき、お皿をすぐに洗います。なんとなくバナナが気になります。

でも心を鬼(?)にして、また読書を始めます。

3時になりました。おやつタイムです。「うふふ、今日はぜんざいがあるんですよ〜。一昨日作ったかのがまだある。」と冷蔵庫を開けると、やっぱりバナナが見える。

ハワイでぜんざい?

「あぁ、もうダメ!気になる!」と思ったが最後、ここから猛然とバナナクッキーを作り始めてしまった筆者です。

準備の時間にして20分、焼くのに20分。合計40分。脱兎の如く行動しまして、1時間後にはぜんざいとバナナクッキーをおやつでいただきました。

「おいち〜〜!やっぱりデザートも手作りに限るわ。でも、やってしまった。今日は何もしないと誓った(誰に?)のに〜〜。」と、思いつつ、本当は満足感ありでした。

さて読書にも少々、飽きてきました。

「どれどれちょっとテレビを見てみましょうかね〜。」日本語の番組も見ますが、筆者はアメリカのお家のリノベーションの番組が大好きです。

おそらく今後の自分の人生で決して住むことのないような、いかにもアメリカらしい大きな一軒家のリノベーションの様子を写した番組です。

ハワイや東京のように土地が狭いところにしか住んだことのない筆者にとって、「それ、無駄に大きすぎない?」とも思えるアメリカ本土の一軒家を見るのは、本当に新鮮で、しかも価格がリーズナブルなことにため息をつき、リノベーション前後の変貌ぶりに驚嘆しながら、楽しく時間がすぎます。

あっと言う前に2時間、ゆったりと時間を過ごしました。

途中、日本の連続テレビ小説も挟みながら、「テレビって、観ようと思ったら、キリなく観れるんだわ。」と改めて、この極めて受身的な時間経過促進装置の威力を感じます。

さて、普段でしたら夕方のウォーキングに出るところですが、今日は、やめて着物の小物を眺めることにしました。

ハワイでは着物を着る機会はほとんど無いと思いますが、着付けの練習は時々していないと手順を忘れてしまいそうなので、月に1回ぐらいですが練習しています。

ただ、ハワイでの着付けは本当に暑い!汗だくになってしまいます。かなりヘトヘトになります。

そこで今日は小物を整理するだけにしました。

帯を眺めたり、着物の端切れで何かつくれるかしら、と考えたり、結び方をちょっとおさらいしたり、です。

筆者の場合、なぜか若い時から「記憶力」よりも「忘却力」が優っておりまして、例えば着物の着付けにしても、ちょっと時間が開いてしまうと「あれ?帯締めの結び方はこれで良かったかな?」とすぐに忘れてしまいます。

ダラダラと汗を垂らすこともなく、ゆったりした時間でおさらいするのは、とても良いことだと改めて思いました。小物を綺麗にして箱に整理して入れて終了です。満足。

そのあと、夕食を頂き、メールを読んだりシャワーをして1日が終了しました。

寝床でも、いつもよりは本が読めました。

何もしない日=何も考えない日、ってわけじゃない

通常、起きていれば、瞑想などの特別な時間を除き、動作・作業としてのアウトプットはなくても、脳では常に何か考えているものですよね。

筆者の場合、「何もしないこと=ボ〜っとして何も考えず、且つ何も行動しないこと」、のように考えがちで、普段から目に見えて定量化でき、評価できるアウトプットを出すことをよしとする傾向があります。

先ほども記したように、四柱推命・算命学的に言えば、筆者のこのような志向は「よく動き、結果を出せる人」という筆者の性質の一面を現しています。

しかし、それは同時に「行動が猪突猛進型で、時として熟考が足りなく失敗がある。」性質も現していると言えます。

実際、人の行動には何かを見たり読んだりしながら静かに思いに耽ったり、何かを思い出したり、時には同時にカラダを動かしながら脳を整理したりすることも含まれていて、それは目に見えるアプトプットを出すことと同様に、評価はしにくいけれど、ある時間をかけることでしか得られない、その人の内面に働きかける不可欠な行為なのかもしれません。

万人に等しく与えられている1日24時間の過ごし方は、年齢や健康状態、人間関係など、様々な要因を反映して、万人それぞれに異なるのでしょう。

貴重、且ついつ終わってしまうかわからない時間を、出来るだけ大切に、愛しんで過ごしたいと思います。

ハワイのサンセットをゆったりと眺めるのも良いですね。

静かなワイキキビーチをお散歩

皆さま、こんにちは。

東京では「東京アラート」も解除され、また休業要請の緩和もステップ3へと移行したようですね。

ここオアフ島でも徐々に、規制が緩和されてきています。

何かが緩和されたと聞くたび、自分にはあまり関連のないことでも、あぁ、そうなんだぁと、硬くなっている心がちょっと緩むのを感じます。

さて、筆者はそのような中、久しぶりにバスに乗ってワイキキビーチへ行くことにしました。

最近では感染者数も低い水準を維持していますし、マスク着用が義務付けられているバスであれば、恐らく大丈夫だろう、ということで、久々にバスに乗りました。

1-Day Passを久々に購入しました。5ドル50セントです。

ワイキキに向かう2番バスはとても空いていました。

クヒオ通りとSea side ave (シーサイド通り)が交わるバス停で降り、ちょっと周りを見渡した後、ワイキキ動物園方向に向かってクヒオ通りを歩き始めました。

実に二ヶ月半ぶりのワイキキです。

なんだか、とても静かです。今日は水曜日なのに、、。

バスは走っています。人は、、。

人気がないワイキキを歩いていると、自分がまるでどこかのラグジャリーなテーマパークに居るような錯覚を覚え、「スッキリしてるなぁ、綺麗な建物だなぁ。」と感心する反面で現実感は殆ど感じられません。

クヒオ通りからカラカウア通りに抜けるため、インターナショナルマーケットプレイスを抜けることにしました。

人はいませんが、鳥はたくさん飛んでます。

普段は観光客で賑わう高級デパートや多くの店舗も、幾つかの飲食店を除いてはほとんどが閉店しています。

中には「撤退した?」と思われるようなお店もあり、ガランとした空間に置き去りにされているペーパータオルと、分解された後の一部と見られる什器が無造作に放置されているのを見て、何とも言えない気分になりました。

一方で、以前のインターナショナルマーケットプレイスからそのまま残されている大木や多くの植物、開放的で柔らかい日差しがどこからともなく降り注ぐ空間には、たくさんの小さな鳥たちがチュンチュンと鳴きながら自由奔放に飛び交っていて、それはそれで、美しい風景の一コマでした。

さて、カラカウア通りに出ますと、目の前にはホテルが並んでいますが、恐らくほとんどがクローズ状態なのでしょう。行き交う人は、まばらです。

人もまばらなカラカウア通り。

そして交番のところまで来て、初めてゆっくりと海を眺めました。

空も海も雲も砂浜もヤシの木も、そしてダイヤモンドヘッドも、これ以上ないほど、綺麗な色です。

波は穏やかですが、少し沖ではたくさんの人たちがサーフィンを思い思いに楽しんでいます。

沖にはサーファーがたくさん!

その後方を色鮮やかな帆を張ったヨットが右から左へとゆっくりと動いています。

普段は混んでいて座れないベンチに腰をかけて、しばらく風に吹かれながら海を眺めたり、本を読んだり、考え事をしました。

「きっと、こういうところを天国と呼ぶのでしょうね。行ったことないけど、、。」と独り言。

立ち上がって、少し歩きますとデゥーク・カハナモク像とご対面です。こんなにゆっくりと像を眺めたのは、今日が初めてです。

その後も少し歩いては海やサーファーを眺めていました。実に贅沢な時間です。

デゥーク カハナモク像

沖の方にいるサーファーたちは、いかにもサーフィンの上級者というよりは、海が大好きで、サクッと海に来てはご飯を食べるのと同じぐらい、当たり前に海のスポーツを楽しんでいる人たちなのでしょう。

とても上手に波に乗れる人もいらっしゃれば、「ただいま練習真っ只中!」でぽっちゃんぽっちゃん、気前よく海に落下しておられる人もいらっしゃいます。

そして、見ていて微笑ましいというか、面白いのは、とにかく皆さん、本当に楽しそうにぽっちゃんぽっちゃん、落ちまくっているところです。

私もスポーツは大好きですので、純粋にスポーツそのものを楽しんでいるサーファーの様子にとっても共感しました。

Stay Home、ソーシャルディスタンス、マスク着用など、息が詰まる生活も、こんなふうに海で過ごせる時間が持てれば、きっと乗り越えられますね。

人が少ないせいか、どこを見ても、絵葉書のような風景になります。

ストロベリームーンを満喫

皆さま、こんにちは。

ハワイ時間で6月5日は満月でした。

特に6月の満月のことを「ストロベリームーン」、「ローズムーン」「ホットムーン」、あるいは「Mead moon」とも呼ぶのだそうですが、満月がいつもより赤っぽく見えるのだそうです。

実際に筆者がみた満月は、翌日6日の明け方4時半ごろの月で、それほど赤くはありませんでした。

それでも涼しい空気の中で、ラナイの椅子に座ってしばらく満月を眺めた時間は、気持ちがよく心がスーッとします。

約2週間前、新月の時にはお願い事をすると叶う(らしい)と、ブログでご紹介しましたが、今回は満月ですので、「感謝」を述べると良いのだそうです。

願い事が叶った人も叶わなかった人も、まずはこの2週間、何とか無事に過ごせたことを感謝しましょう、ということでしょう。

日頃からも感謝の気持ちは持たなければいけませんが、ちょっと忘れていた時の満月は、「ありがとうございます」を言うのにちょうど良い機会かも知れませんね。

さて、筆者は満月になる数時間前(ハワイで満月になったのは5日の午前9時ごろ)にも、つまり5日の明け方にも月を眺めました。

これはまだ満月じゃないから、感謝は後ほどお伝えしよう、と勝手に感謝の先延ばしを決定し、今朝(6日)の明け方、改めて完璧に満月状態のお月さまに、「ありがとうございます。」と手を合わせました。

横の画像は何を撮っているのか不明に見えますが、一応、満月状態の月でありまして、これは本日6日の朝4時半ごろ撮影しました。

ストロベリー?ムーン

ちなみに筆者は全く満月オタクとかではありません。

なぜか分かりませんが、昨日、今日とも、明け方に目が覚めまして、ラナイのある窓の正面にお月さまが「チ〜ン」という音(仏壇にあるお鈴)ともに自分の目の前にあった、、そんな感じです。

こんな好機はまたとありませんので、静寂な明け方の空を、味気ないスマホの「カシャ」っという音が響くのをとても心地悪く思いながら撮影しました。(この音、消したいなぁ。)

数行前に、自分は満月オタクではない、と記しましたが、実は筆者は今、お月さまにはとても興味があります。というのも、、。

数ヶ月前、RossだったかTJ MAXだったかは忘れましたが、このような物を化粧品売り場で発見したのです。

オラクルカード はとても綺麗です

Moonologyという名のオラクルカード です。

なぜオラクルカード が化粧品売り場にあるのだ、、?と訝しく思いましたが、これは明かにどなたかが一度手に取ってカートに入れたものの、化粧品売り場まで来て、「口紅買うからオラクルはまた今度ね。」的に放置されたものに違いありません。

「此処で会ったが百年目」。と、別に探し求めていたわけではありませんが、何気なくそれを私が手に取ったのも何かのご縁。

目に付いてしまったのですから仕方ありません。

「お値段は、、おぉ、すごく安くなっている!オラクルカード やタロットカードなどの安売りってあるのだろうか、、しかも、3ドル???」

これはもう買いでしょう。一緒にいた友人に見せると、「何それ、やめたら、そんなの。」と全く興味ゼロ。

反対されると、意地でも欲しくなるのが人の心というもの。「ううん、絶対に買う!」と言って購入しました。

後日、オラクルカード に詳しい友人にこのカードを見て頂くと、「これ、良いカードですよ。占い鑑定でも使えるから練習してみたら?」とアドバイスを頂きました。

「いや、私、そーゆー力無いんだよね。」と言うと、「全然、関係ない。カード選ぶのは、本人だから。カードから送られてくるインスピレーションを感じることが大事なんですよ。」とアドバイスを頂き、それ以来、筆者の日課には、1日に1度、カードを引いてメッセージを想像(感じる?)ことが加えられました。

その成果は、、あるよなないよな、ないよなあるよな、、更なる精進が必要です。

さて、満月といえばお月見、お月見とえばお団子、、、。

でもお団子はない。

食いしん坊の筆者は、そうだ、白玉粉があったような気がする、と思い立ち、懸命に探しましたが見つからず、その代わり発見した小豆を煮ましてお餅を入れて、お汁粉を頂きました。

一人で小豆を煮ながら、おそらくいないであろう月のウサギがお餅をつく様子を想像し、そのお餅はいま、目の前にある「切り餅」になって私に届いた、、と思うことにし、感謝して頂きました。

世の中は荒れていて、お月さまを眺めている暇なんてないかも知れません。

反対に、お月さまは、きっと遠くから私たちのことを眺めているような気がします。

どんなお顔で眺めているのかなって思うと、少し寂しいというか悲しい気がしますね。

気持ちを前向きにして、今日も頑張りましょう。

明け方のお月さまはとっても綺麗ですね。優しい色合いです。