朝からキャンドル?ありです!

皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

小さな色とりどりのキャンドル

コロナは次第に収束しているようにも見えますが、未だステイホーム令(勝手に命名しております)が布かれております。

ここで気を緩めてはいけないのでしょうね。もう少しの辛抱。頑張りましょう!

さて、筆者もこの数週間、家に籠もってキャンドルを作っては、あちこち飾ってみたり灯したりして、「Candle life in Hawaii」の試行錯誤を楽しんでおります。

ホノルルは快晴が続いていますが、最近は午前中からキャンドルを灯し、改めてキャンドルの灯りが時間を問わず美しいことを実感しています。

仏壇のロウソク(仏壇のキャンドルとは決して言いませんね)は別として、日本で生活をしていると、「キャンドルを灯すのは、夕方、辺りが暗くなっ来てから」、と思いがちではないでしょうか。

少なくとも筆者は、幼少の頃、停電の時に母が灯したロウソクを見てからは、「ロウソクを灯すのは暗い時」と刷り込まれたせいもあり、明るい時に火を灯すという発想はありませんでした。

(停電の時にロウソクに火を灯すのは非日常的なイベントで、「わぁ、お誕生日みたいだね〜」と、白い仏壇用のロウソクでもかなりハイテンションになったのを覚えています。)

朝と夜ではキャンドルの灯りも違って見えます

朝の澄んだ空気に映えるキャンドルの灯りや、暖かいお昼時に灯されたキャンドルの灯りは、夕暮れ時に灯すキャンドルの灯りとはかなり趣が異なります。

例えば、北欧デンマークの職場では午前中からキャンドルが灯されていましたし(談話室のような人が集まるスペース)、カフェやレストランでも1日中、キャンドルは灯されていました。

これは明らかに昼間のカフェですが、キャンドルがそれぞれのテーブルで灯されています。

北欧の夏は、本当に眩い太陽光に包まれて、空も緑も水もキラキラと輝きますが、そんな夏でもキャンドルの灯りは全く遜色なく、落ち着いた光を放ちます。

なぜ、人々は季節を問わず、朝も昼も夜もキャンドルを灯すのかしら?

コペンハーゲンのまちを歩いていて見える家々やお店のキャンドルを眺めながら、そんなことを時々、考えていました。

そして、多分、こうなんだろうなぁ、と思いました。

(正解ではないと思いますが)それはキャンドルの灯りが美的観点から人々を満足させるのとは別に、いつも変わらないキャンドルの穏やかな灯りが、人々の心に安堵感や連帯感をもたらす「不安のない生活」の象徴だからなのではないかと。

そしてもし、そのような普遍的な作用(意味)をキャンドルが持つとすれば、ここハワイでもキャンドルの灯は、私たちの心に安堵感をもたらしてくれるはず、と筆者は思いました。

「きっとハワイでも朝のキャンドルは美しいに違いないわ!」と思い、さっそく早朝から室内でキャンドルを灯し始めたのです。(思いつくと後先考えず、すぐやる性格。)

窓際に置いたテーブルで火を灯します。

右の写真は窓際にあるテーブルの写真です。キャンドルは小さなキャンドルホルダーに入っていて、主張しすぎない、とても控えめな光ですが、あたりを落ち着いた雰囲気で包みます。

写真では判りにくいのですが、こんな小さな灯でも灯した瞬間に雰囲気が変わります。

ちなみに、写真後方に見えるシルバーのキャンドルホルダーには6つのキャンドルが置けますが、その全てに火を灯しますと、かなりゴージャスになりました。(でも、少々危ないので消火しました。)

下の写真は同じ部屋で、同じ時間に撮影しました。薄いブルーとベージュ色が混ざった小さピラーキャンドルと、小さな濃紺のガラス皿においたキャンドルです。

ここは筆者の好きな鳥のオブジェや絵、コペンハーゲンで買った陶器が飾ってあるお気に入りのスペースなのですが、物が多いところに2つもキャンドルを灯すと、余計にゴチャゴチャして見えます。

こういうのがセンスのない素人の飾り方の典型なのだと思います。

これを教訓として、これからはよりシンプルで、オブジェもキャンドルも美しく見える配置を考えたいと思います。

そして、ささやかだけど平和的で安堵感のある朝の時間を作りたいと思います。

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