月からのメッセージ

皆さま、こんばんは。

お月様、見えますか?

2020年ももう8月になりました。

そして本日4日(ハワイ時間)は満月です!

今は夜の8時。お月様は見えるかしら?(ここでしばし退席)

見えました!でも、雲がかかっていて・・残念。

また後ほど、見てみましょう。

オラクルカードでお月様からメッセージを受ける!

筆者はお月様を見上げるのは大好きですが、いわゆる天文学的な観点での月や星座に関しては途方もなく無知です。

夜空を見上げて「あれがオリオン座だよ」と言われても、「どれよ?」と心の中で思うばかりです。

そもそも無数の星を「無理やり」結んで、「小熊に見えるだろう?」と言われても無理があるよなぁと、小学生の時から思っていました。

こんな筆者が今年になって、偶然購入したMoonologyという名のオラクルカードを使い始めたのは、オラクルカードに詳しいお友達から、このカードを絶賛されたからです。

Moonology オラクルカード

このカードの何がどれほど素晴らしいのか、オラクルカード素人の筆者にはわかりませんでしたが、とにかく「良い」と言われた筆者は喜び勇んで、「これも何かのご縁だわ!よし!このカードでお月様からメッセージを頂こう!と思ったのです。

このオラクルカードには月の満ち欠けと星座が一緒に描かれていて、例えば「新月」のカードもあれば「三日月」のカード、「水瓶座の満月」や蟹座の新月」など、美しい月のカードが44枚入っています。

その44枚のカードにはそれぞの意味があり、それをお月様からのメッセージとして読むわけです。

まずはお友達からカードの使い方を一通り教えて頂き、だいたい理解できたので自分一人でやってみました。

お月様に聞きたいことを胸に秘めながら、カードを繰ります。

真面目にやるんですよ〜。

「こんなの当たるかねぇ〜」、なんて間違っても思ってはいけないのです。

でもカード初心者の筆者は、真面目にカードを繰りつつも心の片隅で、「ホントに当たるかねぇ〜、なんだかねぇ〜」とついつい思ってしまいます。

さて、「これでいいかな」と思ったところでカードをまとめまして、一番上のカードをめくります。

お友達によると、このカードに一緒に入っているカードの説明書は読まないで、カードが送ってくるメッセージを読み取ることが大事だそうです。

そこで筆者も一生懸命、カードを眺めました。

でも、ぜ〜んぜん分からず、結局、説明書を読んでしまいます。

その説明書を読むと、何となくですが、お月様からのメッセージも分かるような気がします。

でもやっぱり、出来れば「ピピッ」とお月様からのメッセージが分かったほうが楽しいですよね。

そこでしばらくは練習として、質問を1つ「今日はどんな心持ちで過ごしましょうか?」に絞って、メッセージを聞くことにしました。

今日はフワフワと楽に生きよう!

すると、「迷っている場合ではない!」とか「気持ちを楽にして過ごそう」とか「時の流れに身をまかせよ」(?)みたいなメッセージなど、その日の状況にほぼ合致しているようなカードが出てきます。

いつも完璧にバッチリ合致するわけではありませんが、何となく、「分かったわ、そうしましょう」と思えるぐらいのバッチリ度はあります。

それに綺麗なカードを見ながら、その日の心の準備をするのは楽しい時間でもあり、しばらくの間は毎日一回カードを引いて、それを記録しました。

蟹座の新月と水瓶座の満月

今から14日前のことです。その日は新月でした。

実はその新月の日の前の数日間は、鑑定や雑用が重なったため、筆者にしては珍しく慌ただしく過ごしておりました。

オラクルカードも5日間ぐらい箱にしまったままでした。

さて、その日が新月であることも知らず、夕方になって、そうだ!と思いだし、久しぶりにカードを引いたところ、それは「蟹座の新月」のカードでした。

メッセージは「あなたもあなたが愛する人たちも、安全です。」でした。

「ん、安全?」、そうか安全ならいいや、といつもと同じく、非常にラフな解釈をしました。

そしてその結果をスケジュール表を書こうとした瞬間!「おぉ、今日は新月だったんだ!」と気がつき、早速、新月のお願いを書きました。

書き終わったところで、「あれ?今日の新月はどんな新月なのかな?」と思って調べてみると、「蟹座の新月」!

「あらあら、偶然だと思うけど、バッチリじゃない。すごい。」とパチパチと手を叩いて嬉しがっておりました。

あれから2週間が経って本日になりました。満月です。

夕方、オラクルカードを繰りながら、「そう言えば、この間の蟹座の新月では「蟹座の新月」カードが出ちゃったのよね。今回はどうでしょうねぇ。」

と思ってカードを引くと、「水瓶座の満月」でした。

そして、実際に今日の満月を調べてみると、それがなんと「水瓶座の満月」!

「わぁ、またぴったり合っちゃった。理由なんてわからないけど、面白いな。」

そう思って、またパチパチ、手を叩きました。

さて、ここでもう一度、お月様をみてみましょう。時間は夜10時です。

残念!まだ雲に隠れています。

でも、きっとカードからメッセージを送ってくれているのでしょう。

ちなみに水瓶座の満月のメッセージは、「変化を恐れないで!」、そんな感じでしょうか。

はい、変化を恐れず、前を向いて歩くことにしましょう。

そうそう、「マスクも忘れずに」、ですね!

どうぞ、皆さま、お元気でお過ごしください。

今日の夕陽はピンク色でした。

サプリメントは長生きに効く?

皆さま、こんにちは。

先日、占い鑑定のお客様からこんなご質問を頂きました。

「私、長生きですかねぇ?あとどれぐらい生きそうに見えます??」

おっ!来ました!単刀直入なご質問です。

しかしながら、、。

占い鑑定では、人の生死に関するコメントは控えさせて頂いております。

例えば運勢的に見て、是非とも健康に注意して頂きたい時期や、怪我や事故など、突発的なことが起こりやすいと思われる時期についてはお伝えさせて頂いております。

しかしどのような運勢の時期であっても、それと寿命との関係についてはお話しすることは出来ないのです。

従って、お答えも「それは分かりません」となります。

健康で長生きは大変そう・・

どうも、ネコです。

「生きること、生きていることって大変だよね〜。」

と、大分県別府温泉の地獄めぐりをした時に買った「毎日が地獄です」団扇をパタパタやりながら、職場の同僚と温泉街の茶屋で温泉卵を食べたのが約10年前。

その時点ですでに、「健やかに長生き」することは至難の技に思えました。

あれから10年。(ん?どこかで聞いたようなフレーズ。)

筆者もご多分にもれず50歳代半ばになった今、「よくもまぁ、こんなに見計ったように老化が起こることだこと!」と、憤慨したり感心したりしながら、顔や膝周辺に出現したシワを観察したり、いつまで経っても治らない傷跡をさすったり、しょぼしょぼする目を擦ったりしています。

いつ、誰が言い出したのか分かりませんが(いえ、察しはついています)、「人生100年時代」という言葉が頻繁に聞かれるようになり、資産運用やら健康関連の広告も並んで増加しています。

100年間生きることが、現実問題としてどれだけ大変なことかを考えると、個人的には、「人生100年時代」と無責任に発せられるこの言葉にはかなりモヤモヤ感があります。

そもそも加齢に抗うことなく50歳代半ばまで生きてきて、この状態です。

果たして100歳まで生きたりしたら、いったい自分はどんな体たらくになっているのだろうと想像すると、本気で「怖い!」と思います。

有り難いことに、今現在、深刻な疾病のない筆者は、どこまで行けるか分かりませんが、日頃の小さなメンテナンスで何とか乗り切れたらいいなと考えています。(甘いかも)

ドライアイって老化現象でしょうか?

カラダのあちこちで起こる老化現象の中でも、痛みはないけれど、ここ数ヶ月間で特に顕著になった不具合があります。

それが目の渇き(ドライアイ)です。

単純に加齢による現象なのか、それとも何らかの病気と関連しているのかわからないのですが、確かに中高年齢者はよく目薬をさしておられますよね。

やはり加齢による老化現象の1つでしょうか?

しばらく様子を観察してみると、目は見えているけれど、とにかく乾く。

乾くせいか、ちょっと痒くなる。

これは病気というよりは、目を潤すための栄養素の不足かもしれないと思い至りました。

そこで生まれて初めてですが、目に効くサプリメントを試してみることにしました。

あるある、たくさんのサプリが!

オアフ島にはサプリメント専門店や量販的なドラッグストアがあります。

近くのドラッグストアに行き、サプリメントの棚を見てみますと、ありますあります。

あり過ぎだろ!と思うぐらいあります。

字が小さい・・。  苦しい・・・。

まず最初は、目の機能向上に特化していそうなサプリを探してみました。

4、5種類のサプリのボトルから、目のイラストが描かれている「いかにも目に効きます!」と訴えているボトルをとりあげ、ラベルをじっと見つめました。

そうです、目を凝らしてじっと、見続けるのです。うぅ、目が痛い、、。

さらになおも見続けるのですが、、、突如、「えぇ〜〜い!この小さい文字はなんなんじゃい!?何が書いてあるか、さっぱりわからんじゃないか?えっ?」と、心の中で親父のような雄叫びをあげ、乾いた上に充血までしている目をゴシゴシと擦ります。

数秒間、目を休めて冷静(?)になってから、「ねぇ、本気で売る気あるの、あなた」と物言わぬサプリのボトルに日本語で話しかけていると、おそらく、この様子をずっと見てたであろう店員さんが、にこやかに(マスクで顔が見えないけど)、「大丈夫?」と声をかけてくださいました。

「全然、大丈夫じゃない。読めないの、字が、小さい。私、ドライアイで困っているの」と、この順番通りの稚拙な英語を並べると、店員さんは大きく頷き、「だったら、オメガ3が良いわ」と、別の棚に案内してくれました。

オメガ3って目に効く?

「オメガ3??」聞いたことあるけど、それって目に良いのだろうか?

店員さんは「これは目の健康の他にも心臓や脳、とにかくカラダ全体にいいのよ。私はこれがイチ押しよ!」的なことを約2分間ぐらい(意外と長い)力説してくれました。

本当に効果があるの?、それはあなたのイチ押しよね?、もしやこの方サプリ会社の回し者?、など、2分間で様々な思いがよぎるのですが、あまりに熱心なので、これを買った方が良いのかも知れない、と思ったりもします。

とりあえず、「ちょっと考えてみる」と言って、改めてラベルを見ました。

すると、オメガ3以外に、DHAとEPAと書かれています。

その場でネットで調べてみると(こういうことがササっと出来ちゃうことに、妙に感心してしまう筆者です)、この3つの成分は同じ不飽和脂肪酸の仲間ですが、オメガ3がDHAとEPAの前駆体、つまりDHAとEPAを作り出しているのだそうです。

そして目の健康にはこのDHAが良いのだということが分かりました。

粒が大きいソフトジェル。喉に引っかかる、、。

元々、DHAは脳や神経の機能の発達を促すもので、EPAは血液をサラサラにすることで心臓や血管の健康維持に良いのだそうです。

(筆者はDHAとEPAの日本名がなかなか覚えられません。DHAは確か「あんたがたドコサ」的な響きの名前で、EPAも「エンヤコラさ」的な名前だったことを記憶しています。)

また、DHAとEPAには海洋由来(お魚)と植物由来(くるみ、アマニ油など)があるようで、筆者が薦められたのは、魚由来の匂いがない植物由来のオメガ3のボトルでした。

厳密にいえば、同じオメガ3でも、海洋由来と植物由来でその効果には違いがあるようですが、この際、筆者は細かいことには目を瞑り、目のドライアイも良くなって、ついでに体全体にも良いのであれば、これで良いじゃん、とそのサプリに決めました。

サプリの値段は、それが妥当なのかそうでないのか、腑に落ちないところがありますが、60日分で4千円台でした。高いのかな?それとも??

効果はいかに!?ハッピーならいいじゃん!

さて、サプリを飲み始めて10日が経ちました。

あくまで印象ですが、目が楽です。

実際に、目薬をさす回数は減りました。

サプリ服用前には、1時間おきに目薬を指していましたし、目がいつも充血したように赤かったのですが、1日3回程度で気になりません。

「なんだか効いているような気がする」と期待もあり、これからしばらく飲もうと思いました。

本当はサプリの効果は10日ぐらいの服用では判らないのかも知れませんね。

だとすると筆者のこの感想はいわゆる「プラセボ効果」なのかも知れませんが、それでも良いのです。

なぜなら、本人がそれでハッピーだからです。

ネコとネズミ。僕たちハッピーだよ。

実際に占い鑑定で命式を作る際も、以前よりも目の疲れが少なく、またパソコンを見ていても目がショボショボになることが減って、結果的にハッピーなのです。

さらに、2、3日前、偶然にも○○○○ガッテンという番組でドライアイの特集をやっていまして、目を温めることでドライアイが軽減できる、との情報を得たのでこれも始めました。

1ヶ月後、さらにドライアイの症状が軽減されて、鑑定のお仕事もスイスイと進むことを願っています。

皆さま、健やかな日々をお過ごしくださいね。

ハリケーンはどこへ?

皆さま、こんにちは。

昨日のブログでは、ハリケーンダグラスに備えて、停電に備えるべく、キャンドルの使い方などをご紹介させて頂きました。

が、しかし、実際、ハリケーンはオアフ島には殆ど目もくれず、島の北側をササーっと過ぎて行ってしまいました。

現在、夜7時を過ぎたところですが、空には美しい夕焼け雲まで・・。

「何よこれ?ほんの数回、雨がザザーっと降っただけじゃない」と、肩透かし感100%です。

パチュリの香り

もちろん、これは良い意味での「ハズレ」ですから、「あぁ、良かった」で終わりです。

しかし、明日は月曜日なのに政府系オフィスはクローズ。

この辺りに、ハワイを感じます。

キャンドルも幾つか準備し、水もバケツに汲み置きし、非常袋も作りましたが、今回は使わずにすみました。

せっかくキャンドルを準備したので、その中でも一番小さく、余ったワックスで作ったパチュリの香りのキャンドルを灯しました。

穏やかな夕暮れ、これから夕食を作ります。

無事で良かった!

夕焼け小焼けです。どこからか、お肉の焼ける香りがしてきました。

ハリケーンが来る!停電が来たらキャンドル?

皆さま、こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

ここハワイでは、日曜日に直撃予定の「ハリケーンダグラス」に備えて少々慌ただしい雰囲気があります。(しかし、金曜日の現在はピーカンで晴れております。)

筆者もラナイに散らかっているキャンドル制作用の細々とした道具を撤去しました。

コンドミニアムに住んでいて、これまでハリケーンによる雨漏りや窓が割れるなどの直接的な被害を受けたことはないのですが、それでも夜中に風の轟音などを聴いていると怖く感じます。

また良い意味でも悪い意味でも隙間風が吹く我が家では、窓やドアなど全て閉め切ってあるのに、テーブル上の紙切れがサラサラと床に落ちたり、キャンドルの炎が大きく揺れたりします。

災害時にキャンドル?

災害による停電に備えて、やはり懐中電灯は一つは必要ですね。

キャンドルを作っている筆者としては、「災害時にもキャンドルはいかがでしょう?」と言いたいところですが、非常時に「直火」を扱うのは、むしろ危険と感じる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、もし懐中電灯がなくてキャンドルしかなかったら?

(そんな人はいないはず。いえ、ここに一人おります。)

そこで今回のブログでは、キャンドルを安全に灯すためのヒントをご紹介したいと思います。

いずれも「常識的」なことですが、良ければ参考になさってみてください。

静かに灯したい時

手前の2つのキャンドルホルダーです。

1枚目の写真にあるキャンドルホルダーは、デンマーク在住時に購入したものですが、安全という観点からは、特に下方にある2つのキャンドルホルダーをお勧めします。

高さ5センチぐらいのガラス製のホルダーで、中にティーキャンドルを入れて灯しています。

コペンハーゲンで滞在した最初の家は間借りでしたが、その部屋には電気はなく、完全にキャンドルの灯りのみの生活でした。

このキャンドルホルダーを使って暗い部屋でキャンドルを灯しますと、写真の通り美しいのですが、さらに多少の風が吹いても炎が揺れず、静かに灯るのでとても安全です。

一方、上2つのキャンドルホルダーにもキャンドルが入っていますが、少々、サイズオーバーです。

これも灯りとしては「あり」ですが、安全性から言いますと、炎が容器から飛び出している分、キャンドル選びにもう一工夫必要と思われます。

(ちなみに、キャンドルを窓辺に灯すことが多いデンマークでは、窓辺に「カーテン」はほとんどなかったと記憶しています。)

2枚目の写真は、ここハワイで灯しているキャンドルです。

大きめのガラス容器に高さ5センチぐらいの自家製のキャンドルを入れています。(下に写っているキャンドルホルダーもデンマーク製のもので、最初の写真と同様、とても安全です。)

風を遮りますので、炎も大揺れすることはなく、静かに灯ります。

ガラスの耐熱性が不明でしたら、この写真のように、容器の底に石やガラスなどを並べますと、見た目にも美しいですし、直に床に置いた場合、熱で床を痛める可能性が低くなります。

さて、3枚目の写真では容器に入ったキャンドルをご紹介します。

ハワイで販売しているキャンドルで最もポピュラーなのが、この容器入りキャンドルだと思います。(赤いキャンドルをハワイで購入しました。直径は約11センチです。)

容器入りのキャンドル。

これらは容器に入っていますので、風などで倒れたりせず安全です。

また使用しているうちにロウが溶けて炎が下方に移動していきますので、そうしますと多少の風が吹いても火が消えてしまったり、大きく揺れることは殆どありません。

ただし、火を灯すうちに容器がとても熱くなりますので、点灯中もそうですが、火を消した後もしばらくは素手で触らないようにご注意ください。

また床やテーブルなど、置き場所によっては熱い容器のせいでシミや跡が残る可能性があります。

念のため、容器の下には何か(鍋じきやお皿など)敷かれることを強くお勧めします。

同写真には、小さな容器(缶)に入ったアロマオイル入りのソイキャンドルも2つ、写っています(一つは蓋なし、一つは蓋ありです)。

このキャンドルも転倒の心配はなく、小さい範囲にはなりますが優しい光と、ほのかな香りを楽しむことができます。

余談ですが、ソイキャンドルには火を灯した時に黒いススが出ない、さらに空気を清浄にするという、ちょっと嬉しい作用があります。

(もう一つ余談ですが、この蓋つきのソイキャンドルは、対面の占い鑑定を受けて頂いたお客様にプレゼントさせて頂いているものです(コロナで対面鑑定はお休み中です)。)

小さく持ち運びも楽なので、日常使いと併せて旅行に持って行かれる方もいらっしゃいます。

いずれの場合も、小さな缶の容器ですので火を灯すと容器もすぐに熱くなります。

やはり先の容器入りキャンドルと同様、缶入りのキャンドルご使用の際にも、容器の下に耐熱性のあるものを敷いてご使用されることを強くお勧めします。

同じ写真内にはさらにもう一つ、小さめですがガラスに入った美しいキャンドルが見えます。(蓋つき)

使用時の注意点は同じですが、高さが高い分、熱さによる床やテーブルへの損傷の可能性は幾分低くなります。

キャンドル、ロウソク使用時の注意

当たり前と思われることで恐縮ですが、キャンドルやロウソクに火を灯している間は絶対に火のそばを離れないでください。

何か敷いて火を灯しましょう。

また最後の写真にあるキャンドルのように、容器に入っていないもの使う時には、必ず耐熱性のあるお皿や容器に入れて火を灯しましょう。

キャンドルは使用時間が進むにつれてロウが溶けた結果、ロウだまりにロウが溜まります。

また、炎はゆっくりと下の方に移動して行きます。

そうしますと、ランタンのような効果でキャンドルの模様や、ボタニカルキャンドルであれば草花の陰影が写ってとても美しく幻想的に見えます。

しかしその美しさに見惚れているうち、突然、何らかの原因によって、ロウが一気に流れ落ちることがあります。

そのような時に、下に何も敷いていないと、流れ落ちたロウによって、本当に大変なことが起こります。

こびり付いてしまったロウは、温かいお湯などを使って取り去ることはできますが、かなりの作業になりますし、その際に、家具や床に跡がついてしまうことがあります。

くれぐれも、家具や床の上に、直にキャンドルを置かれませんように!

さて、ハリケーンダグラスでキャンドルを灯すことになるか、ちょっと心配です。

停電が起こらないことをお祈りしながら、これから準備したいと思います。

どうぞ、皆さまも安全な週末をお過ごしください。

静かな夜を過ごしたい、、。

嬉しいことがありました!

皆さま、こんにちは。

7月(旧暦ですと7月は7日から始まります。)も中旬となりました。

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筆者にとって、6月は気学的に「底」の月でしたが、7月からは上昇気流に乗って、運気も上昇します(そのはず!)。

「信ずるものは救われる」とよく言いますが、「きっと、良いことがある!」と心の中で強く信じていると、期せずして、嬉しい出来事に遭遇することが、たまにあります。

皆さまの中にも、そのような体験をされた方はいらっしゃるのではないでしょうか?

それとも、「そんなことないわよ〜!」でしょうか?

「7月は希望の月!」。そう勝手に思い込み、普段よりもさらに強く、「今日も元気です!大丈夫。全てうまくいく!」と、澄み切ったハワイの空に向かって毎朝フガフガ唱えていたところ、偶然かも知れませんが、鑑定のお問い合わせがあったり、しばらく音信不通だった古い知人と連絡が取れたりと嬉しいことが続きました。

やっぱり、「信ずるものは救われる?」のかな?

「とにかく信じる」と良いことがある?

「信ずるものは救われる」の語源には、恐らく宗教的な意味があるのでしょう。

でも私たちは、宗教的なこととは関係なく、普通に「信じる」と言う言葉を使いますね。

スポーツ選手のインタビューでは、「自分を信じて頑張った」、とか、「コーチの言葉を信じた」などのコメントをよく聞きます。

そんなコメントを聞きながら、「そうか、そうだよね、やるのは自分だもんね。最後は自分しかいないって、思い至るのね」と思ったり、「そうか、よっぽど良いコーチなんだわね」と思います。

筆者の場合は、「当たると信じて買ったけど、またハズレじゃん!」と紙切れになった宝くじを破る、そんな限りなくトホホ的な行為において「信じる」ことを長年繰り返してきました。

しかしそんな愚かしい筆者も、多少なりとも年月と経験と失敗を重ねてきたせいか、ここ数年で、信じることについて、これまでとは少し違う考えを持つに至りました。

どのように表現するのが良いのか分からないのですが、どうも「見返りを期待した信じる」行為はダメそうです。

「これだけやったから、これぐらい返ってくるよね?」と思う信じ方は、その対象が事であれ、人であれ、筆者の感覚からいうと、「不発に終わる」感覚があります。

そして今、筆者が思う信じるは、「とにかく無心に思うこと、ブレずに願うこと。」のような気がしています。

ちなみに以前にも申し上げましたが、筆者は占い鑑定はしていますが、サイキック的な能力はありません。

そのような能力はないのですが、心から真摯に信じたり願っていると、よく分からない何者かによって、(例えば世の中では「エンジェル」とか「背後霊」とか呼ばれているもの?)が、何かしてくれているように感じるのです。

もう少しフェアリー調で言うならば、「いつも自分を見守っていてくれている何ものかが、何かの折に、自分に手を差し伸べてくれていたり、ささやかなご褒美をくれることがある」と言った感じでしょうか。

そして、「疑うことなく無心に願うこと、信じること」を続けていると、いつしか、そんな自分自身を信じることが出来るようになるのかしら、などと思いを馳せます。

あぁ〜、なんだか頭がゴチャゴチャしてきましたよ〜。

このままですと、どんどん深みにハマりそうな気分になりましたので、本日はこれで辞めておきましょう。

世の中がこんな状況だからこそ、自分の心の中にブレることのない芯のような何か(思いや信念)があると、少し、気持ちが楽になるのかも知れない?ですね。

どうぞ、今日も、ココロもカラダもお元気でお過ごしくださいね。

占い鑑定で運動・スポーツを選んでみる?

皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

自宅待機が長引くなか、運動不足を実感しておられる方も多いのではないでしょうか。

皆さまは、どのようにして運動不足を解消していらっしゃいますか?

世の中にはたくさんの運動やスポーツがありますから、この際、未経験のスポーツを選んでみるのも楽しいかも知れませんね。

子どもの頃は体育の授業は別として、好奇心や興味に従って、比較的、自由に運動やスポーツを選べますね。

従って、子どもによって選ぶ運動やスポーツには、自然に違いが出てきます。

また、実際にやってみて、「やっぱり面白い、もっと続けたいな。」と思う子どもと、「もういいや。」と思う子どもがいます。

このような差が出るのは、一つにはその時の子どもの身体機能や運動能力が影響するからなのかも知れませんが、その他に本人の性格や、本人を取り巻く人間関係を含んだ生活環境なども影響しているように思われます。

そしてこれは大人も同様で、ご本人の性格や環境によって選ぶ運動やスポーツに違いが生じるように思います。(違うかな?)

自分の性格に合った運動やスポーツって?

例えば、四柱推命や算命学的に筆者の性格に合いそうなスポーツをみてみますと、「単独で行う運動やスポーツで、ゲーム要素の強いもの。」が良いようです。

また自分のテリトリーを守りたいので、人体接触のあるスポーツはバツ、です。

さらに、必要であれば他人(仲間)と力を合わせて運動することもありますが、楽しむことが主眼にあるのではなく、あくまでも、「勝ち」にこだわる運動の仕方を好むようです。

コロナ感染が心配されるこのご時世、現実的にチームスポーツは適切ではありませんから、やはり最終的に筆者が出来るのは、一人ウォーキングやサイクリングあたりですね。

「一人で出来る、」という意味で、筆者は約10年間、ヨガに真面目に取り組んだ経験があります。しかし、最後は気持ちが持続せず、終えてしまいました。

柔軟性も向上し姿勢も良くなりましたので、健やかなカラダの維持には悪くないのですが、ヨガをやっていて、あるいはやり終わった後、「楽しい」とか「気持ち良い」といった感想があまりなかったのです。

黄昏時のビーチバレーボール。良いですね〜、楽しそう!

ヨガは筆者にとって、ひたすら「自分のココロとカラダに向き合う時間」でしたが、このじ〜〜と我慢して動く、ことに、ある日、突然「飽きてしまった」ようです。

やはり筆者には、テニスやバレーボール、卓球などのネットプレイで、点数を競うスポーツ、時に寡黙に、時にワイワイと動くスポーツが合うようですが、だからと言って50歳代半ばをすぎた筆者がこれから熱心にやれるかと言えば、恐らくそれは「否」ですね。

ちなみに、「スポーツ観戦」という、スポーツを楽しむという広い意味でのスポーツ参加について、筆者は相撲以外、殆ど観ることがありません。

「運動やスポーツはやってなんぼ」という、実践重視の性格です。

「好き」と「続く」運動・スポーツは違う?

現代はハワイでも日本でも、健康の維持増進を目的とした運動実践が大いに奨励されています。

おそらく、どなたも一度は運動靴を買ってみたり、スポーツクラブのパンフレットを眺めたりしたことがあるのではないでしょうか。

しかし、同時に「スポーツクラブに入って、最初は元を取ろう!なんて思うから、一生懸命通ったけど、半年で終わってしまった。だって、だんだん寒くなってきて、行くのが億劫なんですもん。」といった、挫折ストーリーを聞くこともしばしばです。

また、「走るのが好きなので、ジョギングクラブに入ったけど、他人と一緒に走るのは気を遣ってしまって、却って大変。やっぱり一人で走るのがいいな。」という方もいらっしゃいました。

あるいは、「ゴルフを観るのは好きだけど、実際にやってみるとお金がかかるね。」そんな経済的な理由もあるかも知れません。

いずれにしても、運動やスポーツが続けられるかどうかは、それを「好き」かどうかより、自分の性格や、運動能力、さらに運動するにあたって生活環境に無理や支障がないかなど、他の複数の要因がより強く影響しているようです。

大人(中高年)のバレエ愛好者

筆者の知り合いに、ちょっと失礼な言い方になりますが、あまり上手にはならないけれど、何十年もクラシックバレエ(美容体操)のお稽古に通っておられた中高年のご婦人方がいらっしゃいました。

ご本人は至って楽しく心地よく踊っておられるのですが、側から見ると、踊っているのかフラフラとその辺りを彷徨っているのかよく分かりません。でも、気持ちは完璧にバレリーナです。

そしてその踊り(動き)を見ながら、先生が優しい声で、「みんな、ちゃんとやって〜」っと声をかけているのが、とてつもなくおかしかったのを覚えています。

ご婦人方は、「あら、私、ちゃんとやってるわよね〜〜」と心中、先生の言葉を怪訝に思いながら、なおもフラフラと気持ちよく躍るのです。

筆者が思うに、このご婦人方は間違いなく、踊ること、踊る事にまつわる何かが大好きなのですね。

だからこそ、何十年も長続きするのだと思います。

実際、このご婦人方の占い鑑定はしておりませんが、恐らく、感性豊かで、古典的な芸術を愛し、コツコツと努力できることを示す「星」をお持ちなんだろうなぁ、と勝手に想像しています。

またさらに細かく観察していると、同じクラシックバレエでのお稽古でも、「見た目重視」でいつも美しいレオタードに身を包む方がおられる一方で、「手と足の角度は?首は曲げる?」と、動きの分析に熱心な方もおられます。

このように同じクラシックバレエでも、その取り組み方には各自が持つ「星」の違いが反映しているようです。

中には「お稽古が終わったら、皆さんとあのカフェに行きたいわ。」、とお稽古そのものよりは、人間関係に興味がある方もいらっしゃるでしょう。

皆さまは、どんな思考・行動パターンをお持ちでしょうか?

今後も、コロナによる自宅待機など、制限のある生活で運動不足の状態が続きそうですが、どうぞ、皆さまもご自分に合った運動、スポーツで元気でいらしてくださいね。

もし、「なぜ、長続きしないのかしら?」と思われる方がいらっしゃいましたら、一度、占い鑑定で、ご自分の本質(性格)を見てみませんか?

案外、今まで知らなかった違う才能に気づかれるかも知れせんよ!

そう言えば、釣りも素敵なスポーツですね。釣り、やろうかな?

静かな6月でした

皆さま、こんばんは。

独立記念日も終わり、6月も残り数時間となりました。(旧暦の6月は7月6日までです。)

2020年6月の筆者の気を九星でみますと、最も低迷した「底」の月になっています。

従いまして、この6月はあまり無理をせず、おとなしく過ごしておりました。

「おとなしく」過ごす、と言っても、何もせずにじぃーっと、家に潜んでいるわけではありません。

普通に仕事をし、普通に家事をし、たまにピクニックに行ったりキャンドルを作ったり、ウォーキングで運動不足を解消しています。

運気が低い時を無事に過ごすコツ

「無理をしない」過ごし方とは実際、どのようなものでしょう。

「カラダや心に余計な負担をかけないこと」だと筆者は理解しておりまして、そのために普段より少し、心がけていることがあります。

その一つは、「急がないこと、焦らないこと」です。

例えば、何かを決めなければいけない時、そしてそれが少々ややこしい問題である時、さらにその決断を誰かから早急に、と迫られている時がありますよね。

そんな時でも、焦って答えを出さず、一呼吸、置くとほぼ上手くいくようです。

元来、即決型の筆者ですが、「ちょっと待って。少し様子を見てから決めてもいいよね。」と、意識していつもより少し慎重に対応しています。

もう一つは、人間関係で何か行き違いが起きた時には、気がついた時点でにすぐにその人に連絡をとって確認し、問題を解消することです。

そうしますと事態がこじれず、不安も早く解消するように感じます。

さらに6月は、気学でみると「月破」の月にあたっていたので、いつものウォーキングコースを少し変更しました。

実際、これらのことを意識して過ごしたからと言って、目に見えて何か良いことが起こるわけではありません。

しかし、いつもより少しだけ物事をゆっくり考え、行動を見直し、ペースダウンすることによって、心に余裕が生まれるのは実感できます。

水彩画の練習をしました

「無理をしない」6月、筆者は水彩画の練習をすることにしました。

と言うのも、今年の2月、水彩画のワークショップに参加して以来、一度も復習していなかったので、ちょうど良い機会だと思ったのです。

さて、筆者は仕事をする時も、家事をする時も、キャンドルを作る時も、ウオーキングをする時も、寝る時にも、絶えず音楽(音)を流しています。

ちゃんと耳を傾けて聴いている時もあれば、流しているだけの時もあります。

皆さんは、少しざわついた環境にいる時の方が勉強や仕事が捗ると思われたことはありませんか?

筆者はまさにそのタイプで、何となく音楽が流れているところや何となくテレビの声が聞こえる部屋、適度に人の出入りがあるオフィスだと仕事が捗ります。

決して沈黙や静寂が嫌いなのではありません。教会やお寺などの静寂はとても好きです。

ただ、何か作業や仕事をする時に、あまりに周囲がシ〜〜ンとしていると、居心地が悪いというか、ソワソワしてしまうのです。

あれ?音無しが心地よい?

しかし、今回は珍しく、音楽やテレビを消しました。

なぜか、耳障りになって、集中できなかったからです。

残ったのは「生活の音」だけで、家のなかは実に静かです。

そして思いの外、心地よいのです。

「生活の音」には、風の音や鳥の鳴き声、フリーウェイや近くの道を走る車の音、お隣さんが開け閉めするドアの音などがありますが、これは気になりません。

静かな住宅街に漂うこれらの生活の音には、何かを主張するものはなく、耳に届いた音はサラサラと流れる水のように全身に広がり、そしてすぐに消えてしまいます。

コロナウィルスで世界はこんなに大揺れしているのに、自分は妙に心穏やかな精神状態で、「ナンダァ、このギャップは?」と不思議な感覚でした。

変化を受け入れることは大変です

コロナが発生してから、心とカラダには否応なく変化が求められています。

これまで築いてきた自分の生活習慣や常識を変えることには、多くの場合、不安と不快と困難が伴いますね。

しかし同時に、変化を受け入れることで、忘れていた感覚を思い出したり、新たな気づきがあったりするのかもしれません。

筆者は絵を描くことで、久しぶりに「無音の心地よさ」の効果を感じました。

静かな6月は今日で終わります。(あっ、零時を回ってしまった、、!)

そして明日、7月7日から、7月が始まります(もう7日になってしまった)。

皆さま、どうぞ良い七夕様をお迎えください。

7月6日は美しいサンセットでした。

曇りの日のキャンドル作り

皆さま、こんにちは。

今日、7月4日はアメリカ独立記念日です。

午前中は雨が降り、どこか寂しげな独立記念日となりました。

例年、独立記念日に開催されている関連行事も、今年は軒並みキャンセルのようですし、花火も中止となり、とても静かな独立記念日です。

「では、お家で静かにお祝いしましょう」ということで、今日は、1日中、お部屋にキャンドルを灯しました。

小さな灯でも部屋の空気感が変わります。

曇りの日こそ、キャンドルの出番です

今朝のように雨が降る曇りの日は、キャンドルの灯りがとても映えると筆者は感じています。

優しいキャンドルの灯りが室内に程よく広がり、曇り空のような薄グレーの空間に、ほんの少し琥珀色の光が混ざり合うと、部屋全体が実に落ち着くように感じるからです。

天気の良い日にキャンドルを灯すと、その周辺の空気の透明感が瞬時に増して、辺りが爽やかでエネルギッシュな空間に変わるように筆者は感じます。

色や香りで例えるなら、キラキラと光るサイダーの泡の中で輪切りのライムが香っている、そんな感じでしょうか。

一方、曇り空の日にキャンドルを灯していると、あたかも自分が、霧に包まれた薄明るくて静かな森林に立っているような気持ちになります。

色で言うなら、少しグレーがかったアイボリー、サンドベージュのような色合いで、香りはシダーウッドのような感じでしょうか。

これも筆者の個人的な感覚ですが、絶えず、小さくゆらゆらと揺れるキャンドルの灯りがあると、仕事にも集中できるように感じます。

そのためか、暗くなった夜よりも、明るい午前中にキャンドルを灯すことが多くなっています。

そう言えば、かつて滞在したデンマークの職場でも、談話室には朝からキャンドルが灯されていて、スタッフがそこで静かに雑談したり、読み物をしていたのを今でも鮮明に覚えています。

きっとその時に見たキャンドルの灯りやその場の雰囲気を、筆者はとても魅力的に感じていたのだと思います。

曇りの日に作ったキャンドルは何色?

筆者はハワイに来てからもキャンドルを作っていますが、最近は、以前より大きいキャンドルを作っています。

日本で作っていたキャンドルは、どちらかと言えば日常的に灯すよりも、むしろ手の込んだ飾り(鑑賞)用の、比較的小ぶりなキャンドルが主流でした。

それがハワイに住んでしばらくするうちに、心境に微妙な変化が生じ、灯すことを目的とした大きめでシンプルなキャンドルを作りたくなったのです。

キャンドルの色合いは季節によっても変わりますし、その日の気分によっても変わりますが、ハワイで作る曇りの日のキャンドルは、なぜかスモーキーなベージュやグレーに、差し色をしたものが多くなっています。

そこで雨が降る独立記念日の今日、また一つ、キャンドルを作りました。

名付けて「2020独立記念日キャンドル」・・そのまま!

思い通りのキャンドルはなかなか作れない

作り始める前にはおおよそのイメージもあるのですが、作っている最中に気分が変わり、結局イメージと違ったものが出来てしまうことがよくあります。

また好きな色だけを使ってイメージ通りに作ったはずなのに、なぜか気に入らないことがよくあります。

さらに、普段と違う色を使ったからと言って、「おぉ、斬新!」と思えるようなキャンドルが出来るかといえば、そうでもありません。

むしろ、「うん、いいな。」と思えるキャンドルは、事前にあまり詳細にイメージすることなく、本能(?)に任せて無造作に色を挿した時に出来たりします。不思議です。

この不思議があるおかげで、下手の横好きでまた作ってしまいそうです。

小さなキャンドルをまとめて灯します。

さて、夜になりました。

そして、今日は満月です。

2020年の独立記念日は満月だったのですね。

静かにお月さまを眺めて、一時、ほっこりしましょう。

おやすみなさい。

何もしない日:時間の過ごし方

皆さま、こんにちは。

ハワイは最近、ネイバーアイランド間の移動が自由になりました。

熱がないことや滞在先の確認など、いくつかの制約はあるようですが、これまで会えなかった家族や友人に会えると思ったら、どんなに嬉しいことでしょう。

まして、これが海外との行き来が自由になった日には、これまで私たちが味わったことのない、開放感や喜びがあるのでしょうね。楽しみです。

希望を持ってその日を待ちましょう!

たまには何もしない日もあり?

唐突ですが、筆者はゆったりと時間を過ごすのが苦手です。

オンとオフの切り替えが下手で、いつもオンの状態になって動く傾向があります。

コロナの外出自粛で自宅で過ごす時間が圧倒的に長くなっていますが、近頃は今日が何曜日なのか、一瞬わからなくなる時があります。

おそらく、生活にメリハリがないのが原因でしょう。

「週末はビーチで何もしないで甲羅干しするぞ」、と思いビーチにいっても、「せっかく海に来たんだから、綺麗な風景を写真にとらねば、せっかくだから海に入るか、本も読まねば、帰りにはスーパーで餅米を買わねば。」など、やることに追われて忙しく、とてもビーチでゆったりと寝転ぶことができないのです。

朝の清々しい空気に包まれたビーチ。

そしてさらに悪いことには、もし餅米を買い損ねたとなれば、「う〜、やり残してしまった。」という後悔の念(大袈裟!)が湧いてきて、「なぜ、そうなった?そうか本を読みすぎたな。」などと反省してしまうのです。馬鹿みたいです。

「休日は1日中、寝ていた。」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、筆者にはこれができません。

休日だろうが平日だろうが、「お天道様が輝いているのに寝ている場合か!」とカラダと頭がムズムズしてきて、結局起きて、ラジオ体操とかしてしまいます。

コロナで自宅待機が命じられた3月下旬以降、「こんな時だからこそ、規則正しく生活しよう。」と思い、「必ず、運動する。ご飯はきちんと3食作る。本を読む。テレビは1日1時間半、でもチコちゃんがある日は2時間まで。お菓子はクッキーなら3枚、ポテトチップは5枚まで。」などと、自分自身にルールを果し、朝、起きた途端に、日課や仕事を消化するべく、活動を開始します。(筆者に目覚まし時計は不要であります。)

当然ながら、日中になれば多少は空き時間ができるので、休み時間と思って少しはカラダを休めても良いのですが、「おぉ、30分ある、じゃぁ、着付けの練習をしよう、」とか、「1時間ある!じゃぁ髪を染めながら床を水拭きするか、。」みたいに、絶えず何かをしています。

救いは、全ての行動が楽しく、何をやるにしても苦にならないことですが、流石に動き過ぎのせいか、夜はクタクタになり、「松本清張の本が途中だった、、読まねば、、。」と、寝床に入り本を持った瞬間、爆睡してしまっています。(おかげで本はヨレヨレです。)

よく言えば、勤勉。でも言い方を帰れば、休むことを知らない愚か者です。

いくら抑制をかけても動いてしまいますし、実際、自分の性格を四柱推命的算命学的に見ても、そういう星だらけで「これはもう仕方ないや」と少々、諦めモードです。

しかし、繰り上げすれば60歳の筆者ですから、これからは加齢現象も加速し、作業効率も落ちることは必至です。

「いい加減、このあたりで休むことを覚えるべきだろうな。せめて60歳になるまでには、ゆっくりとカラダを休ませる術を身につけよう。」と近頃、反省も込めてこのように考えています。

そこで、今日は1日、出来るだけカラダを休める練習をすることにしました。

(そもそもカラダを休めるのに、練習が必要なのだろうか、、?)

起床は6時です。(何時に寝ても6時に起きてしまい、二度寝は出来ません。まさに加齢現象?)

「今日は何もしない。」と決めたことを思い出し、「でも、朝ごはんは作らないとな、、」とか、くだらない問答をしながら、ゆったりとオートミールを作ります。

終わったら、ゆっくりとメールを見たり、新聞を読みます。朝の風も気持ちいいです。

いいわ、ゆったりしている。こんな感じでいこう。

そうそう、次はゆっくりと本を読みましょう。

読書中、ふと本から目をあげると、部屋の隅にホコリが溜まっています。「うぅ、気になる、。」掃除をするべきか、放っておくべきか、、。こんなことで悩むのは馬鹿らしい。クイックルワイパーで10秒で終了です。(やらないと気が済まない。)

ちょっと動いてしまった、、反省。でも、なんだか的外れな反省です。

さて、お昼です。「昨日の夜のおかずがまだたくさんあるから、それを頂きましょう。」と冷蔵庫を開けると、奥に熟れすぎたバナナが2本、横たわっています。

「あぁ、忘れてた!これはもうお菓子にするしかない、、でも、今日は料理もしないって決めたよね。やめよう、。」と、冷蔵庫のドアを閉めました。上出来。

お昼をいただき、お皿をすぐに洗います。なんとなくバナナが気になります。

でも心を鬼(?)にして、また読書を始めます。

3時になりました。おやつタイムです。「うふふ、今日はぜんざいがあるんですよ〜。一昨日作ったかのがまだある。」と冷蔵庫を開けると、やっぱりバナナが見える。

ハワイでぜんざい?

「あぁ、もうダメ!気になる!」と思ったが最後、ここから猛然とバナナクッキーを作り始めてしまった筆者です。

準備の時間にして20分、焼くのに20分。合計40分。脱兎の如く行動しまして、1時間後にはぜんざいとバナナクッキーをおやつでいただきました。

「おいち〜〜!やっぱりデザートも手作りに限るわ。でも、やってしまった。今日は何もしないと誓った(誰に?)のに〜〜。」と、思いつつ、本当は満足感ありでした。

さて読書にも少々、飽きてきました。

「どれどれちょっとテレビを見てみましょうかね〜。」日本語の番組も見ますが、筆者はアメリカのお家のリノベーションの番組が大好きです。

おそらく今後の自分の人生で決して住むことのないような、いかにもアメリカらしい大きな一軒家のリノベーションの様子を写した番組です。

ハワイや東京のように土地が狭いところにしか住んだことのない筆者にとって、「それ、無駄に大きすぎない?」とも思えるアメリカ本土の一軒家を見るのは、本当に新鮮で、しかも価格がリーズナブルなことにため息をつき、リノベーション前後の変貌ぶりに驚嘆しながら、楽しく時間がすぎます。

あっと言う前に2時間、ゆったりと時間を過ごしました。

途中、日本の連続テレビ小説も挟みながら、「テレビって、観ようと思ったら、キリなく観れるんだわ。」と改めて、この極めて受身的な時間経過促進装置の威力を感じます。

さて、普段でしたら夕方のウォーキングに出るところですが、今日は、やめて着物の小物を眺めることにしました。

ハワイでは着物を着る機会はほとんど無いと思いますが、着付けの練習は時々していないと手順を忘れてしまいそうなので、月に1回ぐらいですが練習しています。

ただ、ハワイでの着付けは本当に暑い!汗だくになってしまいます。かなりヘトヘトになります。

そこで今日は小物を整理するだけにしました。

帯を眺めたり、着物の端切れで何かつくれるかしら、と考えたり、結び方をちょっとおさらいしたり、です。

筆者の場合、なぜか若い時から「記憶力」よりも「忘却力」が優っておりまして、例えば着物の着付けにしても、ちょっと時間が開いてしまうと「あれ?帯締めの結び方はこれで良かったかな?」とすぐに忘れてしまいます。

ダラダラと汗を垂らすこともなく、ゆったりした時間でおさらいするのは、とても良いことだと改めて思いました。小物を綺麗にして箱に整理して入れて終了です。満足。

そのあと、夕食を頂き、メールを読んだりシャワーをして1日が終了しました。

寝床でも、いつもよりは本が読めました。

何もしない日=何も考えない日、ってわけじゃない

通常、起きていれば、瞑想などの特別な時間を除き、動作・作業としてのアウトプットはなくても、脳では常に何か考えているものですよね。

筆者の場合、「何もしないこと=ボ〜っとして何も考えず、且つ何も行動しないこと」、のように考えがちで、普段から目に見えて定量化でき、評価できるアウトプットを出すことをよしとする傾向があります。

先ほども記したように、四柱推命・算命学的に言えば、筆者のこのような志向は「よく動き、結果を出せる人」という筆者の性質の一面を現しています。

しかし、それは同時に「行動が猪突猛進型で、時として熟考が足りなく失敗がある。」性質も現していると言えます。

実際、人の行動には何かを見たり読んだりしながら静かに思いに耽ったり、何かを思い出したり、時には同時にカラダを動かしながら脳を整理したりすることも含まれていて、それは目に見えるアプトプットを出すことと同様に、評価はしにくいけれど、ある時間をかけることでしか得られない、その人の内面に働きかける不可欠な行為なのかもしれません。

万人に等しく与えられている1日24時間の過ごし方は、年齢や健康状態、人間関係など、様々な要因を反映して、万人それぞれに異なるのでしょう。

貴重、且ついつ終わってしまうかわからない時間を、出来るだけ大切に、愛しんで過ごしたいと思います。

ハワイのサンセットをゆったりと眺めるのも良いですね。

ストロベリームーンを満喫

皆さま、こんにちは。

ハワイ時間で6月5日は満月でした。

特に6月の満月のことを「ストロベリームーン」、「ローズムーン」「ホットムーン」、あるいは「Mead moon」とも呼ぶのだそうですが、満月がいつもより赤っぽく見えるのだそうです。

実際に筆者がみた満月は、翌日6日の明け方4時半ごろの月で、それほど赤くはありませんでした。

それでも涼しい空気の中で、ラナイの椅子に座ってしばらく満月を眺めた時間は、気持ちがよく心がスーッとします。

約2週間前、新月の時にはお願い事をすると叶う(らしい)と、ブログでご紹介しましたが、今回は満月ですので、「感謝」を述べると良いのだそうです。

願い事が叶った人も叶わなかった人も、まずはこの2週間、何とか無事に過ごせたことを感謝しましょう、ということでしょう。

日頃からも感謝の気持ちは持たなければいけませんが、ちょっと忘れていた時の満月は、「ありがとうございます」を言うのにちょうど良い機会かも知れませんね。

さて、筆者は満月になる数時間前(ハワイで満月になったのは5日の午前9時ごろ)にも、つまり5日の明け方にも月を眺めました。

これはまだ満月じゃないから、感謝は後ほどお伝えしよう、と勝手に感謝の先延ばしを決定し、今朝(6日)の明け方、改めて完璧に満月状態のお月さまに、「ありがとうございます。」と手を合わせました。

横の画像は何を撮っているのか不明に見えますが、一応、満月状態の月でありまして、これは本日6日の朝4時半ごろ撮影しました。

ストロベリー?ムーン

ちなみに筆者は全く満月オタクとかではありません。

なぜか分かりませんが、昨日、今日とも、明け方に目が覚めまして、ラナイのある窓の正面にお月さまが「チ〜ン」という音(仏壇にあるお鈴)ともに自分の目の前にあった、、そんな感じです。

こんな好機はまたとありませんので、静寂な明け方の空を、味気ないスマホの「カシャ」っという音が響くのをとても心地悪く思いながら撮影しました。(この音、消したいなぁ。)

数行前に、自分は満月オタクではない、と記しましたが、実は筆者は今、お月さまにはとても興味があります。というのも、、。

数ヶ月前、RossだったかTJ MAXだったかは忘れましたが、このような物を化粧品売り場で発見したのです。

オラクルカード はとても綺麗です

Moonologyという名のオラクルカード です。

なぜオラクルカード が化粧品売り場にあるのだ、、?と訝しく思いましたが、これは明かにどなたかが一度手に取ってカートに入れたものの、化粧品売り場まで来て、「口紅買うからオラクルはまた今度ね。」的に放置されたものに違いありません。

「此処で会ったが百年目」。と、別に探し求めていたわけではありませんが、何気なくそれを私が手に取ったのも何かのご縁。

目に付いてしまったのですから仕方ありません。

「お値段は、、おぉ、すごく安くなっている!オラクルカード やタロットカードなどの安売りってあるのだろうか、、しかも、3ドル???」

これはもう買いでしょう。一緒にいた友人に見せると、「何それ、やめたら、そんなの。」と全く興味ゼロ。

反対されると、意地でも欲しくなるのが人の心というもの。「ううん、絶対に買う!」と言って購入しました。

後日、オラクルカード に詳しい友人にこのカードを見て頂くと、「これ、良いカードですよ。占い鑑定でも使えるから練習してみたら?」とアドバイスを頂きました。

「いや、私、そーゆー力無いんだよね。」と言うと、「全然、関係ない。カード選ぶのは、本人だから。カードから送られてくるインスピレーションを感じることが大事なんですよ。」とアドバイスを頂き、それ以来、筆者の日課には、1日に1度、カードを引いてメッセージを想像(感じる?)ことが加えられました。

その成果は、、あるよなないよな、ないよなあるよな、、更なる精進が必要です。

さて、満月といえばお月見、お月見とえばお団子、、、。

でもお団子はない。

食いしん坊の筆者は、そうだ、白玉粉があったような気がする、と思い立ち、懸命に探しましたが見つからず、その代わり発見した小豆を煮ましてお餅を入れて、お汁粉を頂きました。

一人で小豆を煮ながら、おそらくいないであろう月のウサギがお餅をつく様子を想像し、そのお餅はいま、目の前にある「切り餅」になって私に届いた、、と思うことにし、感謝して頂きました。

世の中は荒れていて、お月さまを眺めている暇なんてないかも知れません。

反対に、お月さまは、きっと遠くから私たちのことを眺めているような気がします。

どんなお顔で眺めているのかなって思うと、少し寂しいというか悲しい気がしますね。

気持ちを前向きにして、今日も頑張りましょう。

明け方のお月さまはとっても綺麗ですね。優しい色合いです。