嬉しいことがありました!

皆さま、こんにちは。

7月(旧暦ですと7月は7日から始まります。)も中旬となりました。

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筆者にとって、6月は気学的に「底」の月でしたが、7月からは上昇気流に乗って、運気も上昇します(そのはず!)。

「信ずるものは救われる」とよく言いますが、「きっと、良いことがある!」と心の中で強く信じていると、期せずして、嬉しい出来事に遭遇することが、たまにあります。

皆さまの中にも、そのような体験をされた方はいらっしゃるのではないでしょうか?

それとも、「そんなことないわよ〜!」でしょうか?

「7月は希望の月!」。そう勝手に思い込み、普段よりもさらに強く、「今日も元気です!大丈夫。全てうまくいく!」と、澄み切ったハワイの空に向かって毎朝フガフガ唱えていたところ、偶然かも知れませんが、鑑定のお問い合わせがあったり、しばらく音信不通だった古い知人と連絡が取れたりと嬉しいことが続きました。

やっぱり、「信ずるものは救われる?」のかな?

「とにかく信じる」と良いことがある?

「信ずるものは救われる」の語源には、恐らく宗教的な意味があるのでしょう。

でも私たちは、宗教的なこととは関係なく、普通に「信じる」と言う言葉を使いますね。

スポーツ選手のインタビューでは、「自分を信じて頑張った」、とか、「コーチの言葉を信じた」などのコメントをよく聞きます。

そんなコメントを聞きながら、「そうか、そうだよね、やるのは自分だもんね。最後は自分しかいないって、思い至るのね」と思ったり、「そうか、よっぽど良いコーチなんだわね」と思います。

筆者の場合は、「当たると信じて買ったけど、またハズレじゃん!」と紙切れになった宝くじを破る、そんな限りなくトホホ的な行為において「信じる」ことを長年繰り返してきました。

しかしそんな愚かしい筆者も、多少なりとも年月と経験と失敗を重ねてきたせいか、ここ数年で、信じることについて、これまでとは少し違う考えを持つに至りました。

どのように表現するのが良いのか分からないのですが、どうも「見返りを期待した信じる」行為はダメそうです。

「これだけやったから、これぐらい返ってくるよね?」と思う信じ方は、その対象が事であれ、人であれ、筆者の感覚からいうと、「不発に終わる」感覚があります。

そして今、筆者が思う信じるは、「とにかく無心に思うこと、ブレずに願うこと。」のような気がしています。

ちなみに以前にも申し上げましたが、筆者は占い鑑定はしていますが、サイキック的な能力はありません。

そのような能力はないのですが、心から真摯に信じたり願っていると、よく分からない何者かによって、(例えば世の中では「エンジェル」とか「背後霊」とか呼ばれているもの?)が、何かしてくれているように感じるのです。

もう少しフェアリー調で言うならば、「いつも自分を見守っていてくれている何ものかが、何かの折に、自分に手を差し伸べてくれていたり、ささやかなご褒美をくれることがある」と言った感じでしょうか。

そして、「疑うことなく無心に願うこと、信じること」を続けていると、いつしか、そんな自分自身を信じることが出来るようになるのかしら、などと思いを馳せます。

あぁ〜、なんだか頭がゴチャゴチャしてきましたよ〜。

このままですと、どんどん深みにハマりそうな気分になりましたので、本日はこれで辞めておきましょう。

世の中がこんな状況だからこそ、自分の心の中にブレることのない芯のような何か(思いや信念)があると、少し、気持ちが楽になるのかも知れない?ですね。

どうぞ、今日も、ココロもカラダもお元気でお過ごしくださいね。

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