何もしない日:時間の過ごし方

皆さま、こんにちは。

ハワイは最近、ネイバーアイランド間の移動が自由になりました。

熱がないことや滞在先の確認など、いくつかの制約はあるようですが、これまで会えなかった家族や友人に会えると思ったら、どんなに嬉しいことでしょう。

まして、これが海外との行き来が自由になった日には、これまで私たちが味わったことのない、開放感や喜びがあるのでしょうね。楽しみです。

希望を持ってその日を待ちましょう!

たまには何もしない日もあり?

唐突ですが、筆者はゆったりと時間を過ごすのが苦手です。

オンとオフの切り替えが下手で、いつもオンの状態になって動く傾向があります。

コロナの外出自粛で自宅で過ごす時間が圧倒的に長くなっていますが、近頃は今日が何曜日なのか、一瞬わからなくなる時があります。

おそらく、生活にメリハリがないのが原因でしょう。

「週末はビーチで何もしないで甲羅干しするぞ」、と思いビーチにいっても、「せっかく海に来たんだから、綺麗な風景を写真にとらねば、せっかくだから海に入るか、本も読まねば、帰りにはスーパーで餅米を買わねば。」など、やることに追われて忙しく、とてもビーチでゆったりと寝転ぶことができないのです。

朝の清々しい空気に包まれたビーチ。

そしてさらに悪いことには、もし餅米を買い損ねたとなれば、「う〜、やり残してしまった。」という後悔の念(大袈裟!)が湧いてきて、「なぜ、そうなった?そうか本を読みすぎたな。」などと反省してしまうのです。馬鹿みたいです。

「休日は1日中、寝ていた。」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、筆者にはこれができません。

休日だろうが平日だろうが、「お天道様が輝いているのに寝ている場合か!」とカラダと頭がムズムズしてきて、結局起きて、ラジオ体操とかしてしまいます。

コロナで自宅待機が命じられた3月下旬以降、「こんな時だからこそ、規則正しく生活しよう。」と思い、「必ず、運動する。ご飯はきちんと3食作る。本を読む。テレビは1日1時間半、でもチコちゃんがある日は2時間まで。お菓子はクッキーなら3枚、ポテトチップは5枚まで。」などと、自分自身にルールを果し、朝、起きた途端に、日課や仕事を消化するべく、活動を開始します。(筆者に目覚まし時計は不要であります。)

当然ながら、日中になれば多少は空き時間ができるので、休み時間と思って少しはカラダを休めても良いのですが、「おぉ、30分ある、じゃぁ、着付けの練習をしよう、」とか、「1時間ある!じゃぁ髪を染めながら床を水拭きするか、。」みたいに、絶えず何かをしています。

救いは、全ての行動が楽しく、何をやるにしても苦にならないことですが、流石に動き過ぎのせいか、夜はクタクタになり、「松本清張の本が途中だった、、読まねば、、。」と、寝床に入り本を持った瞬間、爆睡してしまっています。(おかげで本はヨレヨレです。)

よく言えば、勤勉。でも言い方を帰れば、休むことを知らない愚か者です。

いくら抑制をかけても動いてしまいますし、実際、自分の性格を四柱推命的算命学的に見ても、そういう星だらけで「これはもう仕方ないや」と少々、諦めモードです。

しかし、繰り上げすれば60歳の筆者ですから、これからは加齢現象も加速し、作業効率も落ちることは必至です。

「いい加減、このあたりで休むことを覚えるべきだろうな。せめて60歳になるまでには、ゆっくりとカラダを休ませる術を身につけよう。」と近頃、反省も込めてこのように考えています。

そこで、今日は1日、出来るだけカラダを休める練習をすることにしました。

(そもそもカラダを休めるのに、練習が必要なのだろうか、、?)

起床は6時です。(何時に寝ても6時に起きてしまい、二度寝は出来ません。まさに加齢現象?)

「今日は何もしない。」と決めたことを思い出し、「でも、朝ごはんは作らないとな、、」とか、くだらない問答をしながら、ゆったりとオートミールを作ります。

終わったら、ゆっくりとメールを見たり、新聞を読みます。朝の風も気持ちいいです。

いいわ、ゆったりしている。こんな感じでいこう。

そうそう、次はゆっくりと本を読みましょう。

読書中、ふと本から目をあげると、部屋の隅にホコリが溜まっています。「うぅ、気になる、。」掃除をするべきか、放っておくべきか、、。こんなことで悩むのは馬鹿らしい。クイックルワイパーで10秒で終了です。(やらないと気が済まない。)

ちょっと動いてしまった、、反省。でも、なんだか的外れな反省です。

さて、お昼です。「昨日の夜のおかずがまだたくさんあるから、それを頂きましょう。」と冷蔵庫を開けると、奥に熟れすぎたバナナが2本、横たわっています。

「あぁ、忘れてた!これはもうお菓子にするしかない、、でも、今日は料理もしないって決めたよね。やめよう、。」と、冷蔵庫のドアを閉めました。上出来。

お昼をいただき、お皿をすぐに洗います。なんとなくバナナが気になります。

でも心を鬼(?)にして、また読書を始めます。

3時になりました。おやつタイムです。「うふふ、今日はぜんざいがあるんですよ〜。一昨日作ったかのがまだある。」と冷蔵庫を開けると、やっぱりバナナが見える。

ハワイでぜんざい?

「あぁ、もうダメ!気になる!」と思ったが最後、ここから猛然とバナナクッキーを作り始めてしまった筆者です。

準備の時間にして20分、焼くのに20分。合計40分。脱兎の如く行動しまして、1時間後にはぜんざいとバナナクッキーをおやつでいただきました。

「おいち〜〜!やっぱりデザートも手作りに限るわ。でも、やってしまった。今日は何もしないと誓った(誰に?)のに〜〜。」と、思いつつ、本当は満足感ありでした。

さて読書にも少々、飽きてきました。

「どれどれちょっとテレビを見てみましょうかね〜。」日本語の番組も見ますが、筆者はアメリカのお家のリノベーションの番組が大好きです。

おそらく今後の自分の人生で決して住むことのないような、いかにもアメリカらしい大きな一軒家のリノベーションの様子を写した番組です。

ハワイや東京のように土地が狭いところにしか住んだことのない筆者にとって、「それ、無駄に大きすぎない?」とも思えるアメリカ本土の一軒家を見るのは、本当に新鮮で、しかも価格がリーズナブルなことにため息をつき、リノベーション前後の変貌ぶりに驚嘆しながら、楽しく時間がすぎます。

あっと言う前に2時間、ゆったりと時間を過ごしました。

途中、日本の連続テレビ小説も挟みながら、「テレビって、観ようと思ったら、キリなく観れるんだわ。」と改めて、この極めて受身的な時間経過促進装置の威力を感じます。

さて、普段でしたら夕方のウォーキングに出るところですが、今日は、やめて着物の小物を眺めることにしました。

ハワイでは着物を着る機会はほとんど無いと思いますが、着付けの練習は時々していないと手順を忘れてしまいそうなので、月に1回ぐらいですが練習しています。

ただ、ハワイでの着付けは本当に暑い!汗だくになってしまいます。かなりヘトヘトになります。

そこで今日は小物を整理するだけにしました。

帯を眺めたり、着物の端切れで何かつくれるかしら、と考えたり、結び方をちょっとおさらいしたり、です。

筆者の場合、なぜか若い時から「記憶力」よりも「忘却力」が優っておりまして、例えば着物の着付けにしても、ちょっと時間が開いてしまうと「あれ?帯締めの結び方はこれで良かったかな?」とすぐに忘れてしまいます。

ダラダラと汗を垂らすこともなく、ゆったりした時間でおさらいするのは、とても良いことだと改めて思いました。小物を綺麗にして箱に整理して入れて終了です。満足。

そのあと、夕食を頂き、メールを読んだりシャワーをして1日が終了しました。

寝床でも、いつもよりは本が読めました。

何もしない日=何も考えない日、ってわけじゃない

通常、起きていれば、瞑想などの特別な時間を除き、動作・作業としてのアウトプットはなくても、脳では常に何か考えているものですよね。

筆者の場合、「何もしないこと=ボ〜っとして何も考えず、且つ何も行動しないこと」、のように考えがちで、普段から目に見えて定量化でき、評価できるアウトプットを出すことをよしとする傾向があります。

先ほども記したように、四柱推命・算命学的に言えば、筆者のこのような志向は「よく動き、結果を出せる人」という筆者の性質の一面を現しています。

しかし、それは同時に「行動が猪突猛進型で、時として熟考が足りなく失敗がある。」性質も現していると言えます。

実際、人の行動には何かを見たり読んだりしながら静かに思いに耽ったり、何かを思い出したり、時には同時にカラダを動かしながら脳を整理したりすることも含まれていて、それは目に見えるアプトプットを出すことと同様に、評価はしにくいけれど、ある時間をかけることでしか得られない、その人の内面に働きかける不可欠な行為なのかもしれません。

万人に等しく与えられている1日24時間の過ごし方は、年齢や健康状態、人間関係など、様々な要因を反映して、万人それぞれに異なるのでしょう。

貴重、且ついつ終わってしまうかわからない時間を、出来るだけ大切に、愛しんで過ごしたいと思います。

ハワイのサンセットをゆったりと眺めるのも良いですね。

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