
皆さま、こんにちは。
アメリカでは9月6日のLabor Dayが終わると、秋の訪れを感じるのだそうです。
暖かいハワイでは、アメリカ本土や日本ほど秋の訪れをはっきりと感じることは少ないかもしれませんが、早朝や日が暮れてからのお散歩ではカーディガンや長袖シャツが欲しくなってきました。
またも出雲大社へお参りに!
さて、前回のブログでは8月25日、乙巳の日に出雲大社にお詣りしたことをお伝えしました。
9月は18日が己巳の日で、金運アップにとても良い日と言われています。
しかも18日は一粒万倍日と言って、その日に巻いた種が一万倍になって戻ってくるという、実にありがたい(本当ならね→こんなことを思うのは信仰の薄い証拠)日でした。
本来ならば弁財天にお詣りしたいところですが、私の知る限りオアフ島にはないようですので、今回も神様代表の出雲大社でお願い事をすることにしました。
お願い事は、ズバリ、「お金をください」です。
ブレがありません。
お金のお願い一本でとても分かりやすい内容です。
とはいえ、本音をいえば、相変わらずの他力本願、節操のないお願いで、神様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「毎度、毎度、お願いばかりで大変申し訳ございません。」が、お祈りの最初の言葉です。
次に自分の名前と住所を言いました。
お忙しい神様は、ハワイに住んでる強欲な人間まで目が回らないと思いまして、2度繰り返しました。
そしていよいよ、お祈りの言葉です。
「あのぉ(最初からモジモジしています)、こんなお願いで申し訳ございませんが、お金を回してください。お金がもうちょい潤沢にありますと、なんと言いますが、全体がうまくいくと思われるのです。具体的には、○○円ぐらい回していただけますと、大変、助かります。何卒、よろしくお願いいたします。」
最後にお辞儀をして、お参りはあっという間に終わりました。

終わってしまうと、なんとなく気が抜けまして、フラフラと帰宅しました。
(ちなみに「お金を回してください」と書いたのは、きっと神様も今年の予算があって、それをやりくりして配分されているように思ったからです。そのやりくりの一部を私に分配してくださるのであれば、表現は「回して」の方が合っているような気がしたのです。)
「神様にお願いするだけで金運アップなんて。そんなに神様は甘くないよね。」と帰りの2番バスの中で考えていました。
でもですね、最近、ちょっと面白いことがありましたよ。
ひたすらお掃除をしていたら・・
金運をアップさせる行動には色々とあるようですが、どうも私が調べる限り、お掃除が一番、効果があるようです。
お掃除の中でも、特にお手洗いと玄関のお掃除は、金運も含めて運気アップに良いらしいですね。
そこで、先月、出雲大社に行った8月25日以来、一念発起して、毎朝、ひたすらお手洗いと玄関を磨きまくっています。
動機はお金欲しさですが、やはりお掃除ですので、終わればとても気持ちが良くなります。
またお手洗い、玄関掃除の余波のようなものがあり、「ついでにここも拭いておこう」と思って窓の枠を拭いたり、扇風機の羽を綺麗にしたりするのです。
このようなことを数日続けていると、家全体がなんとなく清潔になるのはもちろんのことですが、次第に、それが当たり前のようになってきて、最近では朝、お掃除をしないと気分がモヤっとします。
これぞ、お掃除による心身に及ぶトレーニング効果です。
ちょっと嬉しいハプニング
さて、お掃除を初めて3週間ぐらい経った頃でしょうか。
今回の出雲大社詣りの数日前のことです。
昔、住んでいたマンションの管理会社から手紙が届きました。
はてなと思って開封してみると、なんと1ヶ月分の管理費の小切手が入っていました。
どうも引っ越しの際に何らかのミスで、1ヶ月分の管理費が余計に自動引き落としされていたらしく、それが返金されてきたのです。
わお、お金だ!っと単純に嬉しくなりました。
よく考えれば、元々自分のお金で、ただ払い過ぎていただけの話なのですが、それでも戻ってきたのは嬉しい!
「あぁ、お掃除していたご褒美かしら〜〜ん」、と目がハートになりました。
こんなことが起こりますと、単純な性格も手伝って、いつものお掃除にもっと気持ちが入ります。
毎朝、「お金、カモーン!」と言いながら、お手洗いを磨きます。
すると、ほんの僅かですが、最近、鑑定のお申し込み数が微妙に増え始めたのですね〜〜。
いや、これは錯覚だ。(実は数えればわかることです。)
たかが掃除でこんなことが起こるわけがない。
お申し込みが増えている?いやいや、ここでニタニタ笑ってはいけない。
「勝って兜の緒をしめよ。」
「油断大敵火がぼうぼう。」
迂闊に喜んでは今のラッキー傾向が消えて無くなりそうなので、このように努めて冷静を装っておりました。
いつまでお掃除のご利益が続くのだろう・・。
そこに18日、2回目の出雲大社詣りの日がやってきたというわけです。
祈りにも力が入ってしまうのも無理がないですよね。
真剣にお祈り、お願いしながらも、頭の隅では「神頼み、縁起担ぎ(お掃除)に頼るなんて、ビジネスではダメだよね」と思ってみたり、「神様もちょっとこちらを見てくださってるのかも」なんて非科学的なことを思ってみたり、色々な思いが行ったり来たりをしているのです。
訳わからん、、。
最後は「信ずるものは救われる!?」
このような話は、「ハイハイ、良かったね。でもそれはまぐれよ。」と言われてしまえば、それまでの話です。
でも、でもですね。科学的根拠は全くありませんが、この世の中、こういうことはあるんだと私はかなり信じています。
よく言うではありませんか。
「信ずるものは救われる」ってね。
もしかすると、「そこまで盲目的にバカになって(何かを)信じることができるか?」、「そこまで必死になって何か目標(ここではお金)に向かって生きているのか」、試されているのかも知れません。

遠慮がち、しどろもどろでお願いしている割に根が強欲の私は、これからも神様にはお金を「回して」頂けるよう(出来ればもう少し多めに)、これからもお掃除に精進して参りたいと思っております。
それでは今日はこれで失礼いたします。